宏樹庵の竹垣。
これは2005年2月のディナーコンサートに合わせて制作された宏二郎の竹のオブジェの一つだった。近所の三人組が竹やぶから太さの揃った竹を200本以上切り出して持ってきてくれた。竹のオブジェは竹垣だけでなく、階段を灯す明かりや絵を展示する屏風も制作された。竹垣は美しい曲線を描き、中にロウソクを灯すこともできた。全部で竹195本、12メートルほどの長さがあった。
それからちょうど干支が一回りして、今年初め、非常に風の強い日があって竹垣は傾きかけた。つっかえ棒をして起こしたが、なんともみすぼらしい。ついに撤去を決心する。1本1本手で引き抜こうとしたら、もうぼろぼろになって、燃やすことも出来ないほどの物は大きなゴミ袋に入れて捨てた。
制作を手伝ってくれた近所の三人組の一人一人の顔が思い浮かんだ。
今、石井が練習室として使っている元は蔵だった家屋を、ローマから帰ってくる秀太郎の工房にリフォームしてくれたのもこの三人組。あの頃は三人ともとても元気だった。しかし、その一人はもう他界し、もう一人は元気で、元この地域の長だけあって未だに言うことには重みがあるが、80歳を越えて啓&啓倶楽部スタッフ会議にももう姿を現さなくなった。三人組の中で一番若い人も77歳。まだ仕事をしていて忙しいが、前のようにこの家に関わる余裕はもうない。
12年の年月の重みを、消えた竹垣に感じた。
宏樹庵にはもう一つ、解体を待っている物がある。
2階のテラスに置かれた露天風呂。八女の桶屋さんに作ってもらった檜の巨大な桶。直径1.5メートル余り。これが置かれた頃は一人でゆったり星を見ながら入り、お客の一人が作ってくれた湯船に浮かべるお盆でお酒を飲んだり、谷から迷い込んできた蛍をながめたり。私一人で使うだけではもったいないので、近所の人を誘って何人かで入りに来てもらったこともある。「お風呂の会」と呼んでいた。「お風呂の会」は当然飲み会にもなり、それが高じて「啓&啓倶楽部」が発足する。啓&啓倶楽部の最初の取り組みは2002年のシンフォニア岩国コンサートホールでの二人の演奏会。800人以上の聴衆を集めて大成功だった。
それからずっと経って、お風呂として使わなくなっても、夏、子供達が来て水遊びに使っていた。木が生い茂ってきて、見張り役のお母さんにとってはちょうど良かった。
しかし、もう檜はぼろぼろ。留め金のネジを抜いたら上二つの鉄の輪は下にストンと落ちた。
近いうちにチェーンソーで切って薪にしよう。17年間の思い出が美しい炎に現れることだろう。
作ったばかりの竹垣、竹の青さも美しかった。
宏二郎展の間、暗くなると竹垣の中にロウソクが灯された。
きれいさっぱり何もなくなった。
解体を待つ露天風呂
コメント