ヨーロッパ列強の国々はそれぞれが世界各地を植民地化し、列強同士複雑な同盟、対立関係になっており、摩擦が強くなってきた。1914年6月のサラエボ事件をきっかけについにドイツ・オスマン帝国・ロシアからなる同盟国と、イギリス・フランスなどを中心とする連合軍に分かれて戦争が始まる。初めての世界大戦だった。フランス人のラヴェルは同志が次々に参戦していくのを見て、アルザス・ロレーヌ地方の奪還という愛国心に燃え、書き始めたピアノ三重奏曲を通常なら5か月かかるところを5週間で書き上げ、航空兵に志願する。しかし、39歳という年齢と元々虚弱体質であったことから兵役は拒否される。しかし、何度も志願するうちにようやく認められたのはトラックの運転手の任務で、これは銃弾の飛び交う戦場を走るという非常に危険な仕事だった。しかし、トラックはすぐに故障し待機の身となる。
このピアノ三重奏曲については、戦争に出向くことになってもはや生きては帰れないかもしれないと覚悟を決めて書かれた曲なので「遺言状」と捉える説がある。しかし、戦争が始まった当初は戦争はクリスマスまでには終わるだろうと思われていた。フランス兵は高らかに「ラ・マルセイユ」を歌って戦場に出かけて行ったと言う。ラヴェルも多分自分が死ぬという凄惨な覚悟を決めて戦地に赴いたのではなかったのではなかろうか。
この戦争は結果的には悪条件が重なり長期戦となって、世界中におびただしい数の死者を出し被害も甚大なものとなってしまう。
これによってヨーロッパの君主制は崩壊し、その後、各地で自由な芸術が多く芽吹いてくる。
トゥリーナは1882年にスペインアンダルシアのセビリャで生まれる。セビリャはアンダルシアの中心都市で数々の名作オペラの舞台としてクラシック界でもお馴染みの街である。初めマドリード音楽院で学ぶが1905年にパリに渡りスコラカントルムで作曲、ピアノを学ぶ。そこでドビュッシーやラヴェル等とも知遇を得るがアルベニスやファリャからスペイン民謡やアンダルシアに根差した音楽を確立することがセビリャ人としての使命と助言を受け1913年スコラカントルムを卒業後1914年にファリャと共に帰国する。その後、作曲家、教師としてスペインのアルベニス、グラナドス、ファリャに続く功績を遺す。
今回のアンサンブルシリーズで演奏する作曲家のうち一番若いプーランクは1899年パリ生まれ。裕福な家庭で母にピアノの手ほどきを受け、1914年からはスペイン出身の名ピアニストでラヴェルの作品を多く初演したリカルド・ビニェスにピアノを師事する。ビニェスの紹介で後のフランス6人組のメンバー、ジョルジュ・オーリックやサティらと出会う。ラヴェルにも会っている。
12月5日に演奏するトゥリーナとプーランクとラヴェルの1914年の動きをまとめてみました。
合わせの練習も始まりました。
是非皆さんお誘いあわせの上ご来場下さい。
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