今日は父の七回忌。
父が亡くなったのは平成22年7月18日。大腸がんなどで入退院していたが、7月初めの入院から急に悪くなった。前の年、初めての父と母の句集「あやとり」が完成し、椿山荘にて皆でその完成とダイヤモンド婚を祝った。父は緑内障のため目がほとんど見えなくなっていて制作には苦労が多かったが、根気よく頑張ってやり遂げた。亡くなる年の4月終わりにはチューリップ畑を見に行ったりして最後まで人生を楽しむという姿勢を忘れなかった。
今日は夕方に近親者が集まることになっていたので、午前中、母は障子の破れた所を何か所か張り替え始めた。破れた所の枠にそって紙をカミソリで切り取り、持っている書の紙の適当なのを探してきて、枠の大きさにのりしろの部分を計算して紙をハサミで切り、枠にヤマトのりを付けて貼っていく。なかなか上手だ。
母は今年の11月で89歳になる。普段は一人暮らし。食事は自分では作らないので宏二郎と私の妹が週に1回ずつ作りに来て、一緒に食べ、また作り置きをして帰る。私達3姉妹や孫達は母にあまり可愛がってもらった覚えがないので(もちろん良い母ではあったが)意外だったことに、ひ孫は可愛いらしく晴香たちや宏二郎の息子一青が来ると大喜び。今はひ孫も大きくなってもう抱けないが、生まれた直後はうれしそうによく抱っこしてくれた。月に2回ずつ自分の家と西武のカルチャーセンターで書を教えている。生徒は25人くらい。永年教えている生徒さんの中にはもう毎日書道展の審査員クラスの人もいて現在の書道界を引っ張っている。10年余り前からは豊岡市主催の全国展も開催されるようになり、足しげく豊岡にも通うようになった。
そこで私は提案してみた。今年3月の宇部での二人展は大変好評だったので、今度はそれを豊岡でやってみたらと。
豊岡では以前、毎年のように私達の演奏会が開かれ、子供達が小さい頃は毎夏遊びに行っていた。当時の私達の支援メンバーはもう高齢化して、亡くなった人も多い。でもわずかに残っている人の中には未だに文化協会の仕事に携わっている人もいる。その人達がまだ動けるうちにもう一度一肌脱いでいただこう、次へつなげるためにも、と思った。
母はその提案に乗った。
開催の時期は来年11月。会場選定のため、今年私にも一緒に豊岡へ行って欲しいと言い出した。
父の仏前にて私は、どうぞ母をお守り下さい、と祈った。
真剣な表情で紙を貼る母
白菊の枯れて遺影の笑みしまま さちこ
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