5月27日。44回目の結婚記念日。
今、私は66歳なのでちょうど人生の3分の2を共に過ごしたことになる。
22歳の時、どうしてもこの人に付いて行きたいと思って結婚した。親は反対だったが、石井の父が私の父を説得しに来てくれてようやく承諾してくれた。
石井は私が今まで見たことのない野草のような人だった。
哲学を語り、堀辰雄の初版本などの事を熱く話していた。
結婚した当初は私はまだ大学院に通い、石井の両親と姉と祖母も同居だった。
石井がオーケストラに入るとは思ってもいなかったのだが、日本フィルの問題が起き、それはおかしいのではと奮起して日本フィルに入団し、解雇されたばかりの楽団の情宣部で、泊まり込みもあり忙しかった。
大学院を卒業した後、二人でミュンヘンに留学した。
運よく、とても快適な下宿に巡り合ってそこの叔母さんに可愛がられた。長男が生まれ、彼女は自分の孫のように接してくれた。
留学中にはソリストとしての推薦もあったが、日本フィルとの約束を守って2年で帰国。
石井は楽団長を務めることになって、母子家庭ですかと言われるくらい家に落ち着いている暇がなかった。それでも年1回はちゃんとしたリサイタルを開こう、それも10回目までは全部新しい曲で、と決めて自分の勉強もおろそかにしなかった。
私は帰国後、次々に子供が生まれて子育てに忙しかったが、それでも一緒にやっていきたいという気持ちが強く、何とか頑張って練習した。能力の無い私なんかが弾いていてどうなることかと思えた時期もあった。でもこれだけ忙しい石井だから、時を選ばず一緒に練習できる私とでないとリサイタルは成り立たないと思い、練習した。
帰国後に住み着いた小平という場所が良かった。
古いマンションだったが、夜10時まで音が出せた。11時頃まで弾いていたこともあった。車がほとんど入ってこない行き止まりの場所だったので子供たちは外でのびのび遊べた。同じような年齢の子供たちがたくさんいた。みんな仲が良かった。
宏樹庵に移り住むまで、36年間小平で過ごした。
その間、全国各地に赴き、演奏会を開き、様々な人と出会い、たくさんの幸せをもらった。
今年6月7日の東京でのリサイタルは39回目。
来年は40回になるので今後の事を考えるきっかけにしよう。
前から石井が言っているように80歳まで現役で弾いていたいと私も思う。弾きたい曲もあるし、二流の私でももう少し上手に弾けるようになるかもしれないとも思う。音楽の素晴らしい力を信じていたい。
でも、演奏会の形態は今のままでなくても、と思ったりしている。
結婚記念日の夕食はいつものように濡縁で。
メインは私達にしては珍しくお肉。最上級の牛肉と豚肉も少し。野菜はきのこ以外は畑のもの。
祝い酒は村重酒造の社長さんが先日直々に宏樹庵に持ってきて下さったお酒。少ししか作っていないので中々手に入らないそうだ。私もこのラベルは初めて見た。フレッシュな美味しさが口に拡がった。
肉汁が下に落ちないように鉄製のグリルパンを買った。とても美味しく焼けた。
最上級の牛肉。ミディアムに焼いて美味しかった。
臥龍錦松。
今、私は66歳なのでちょうど人生の3分の2を共に過ごしたことになる。
22歳の時、どうしてもこの人に付いて行きたいと思って結婚した。親は反対だったが、石井の父が私の父を説得しに来てくれてようやく承諾してくれた。
石井は私が今まで見たことのない野草のような人だった。
哲学を語り、堀辰雄の初版本などの事を熱く話していた。
結婚した当初は私はまだ大学院に通い、石井の両親と姉と祖母も同居だった。
石井がオーケストラに入るとは思ってもいなかったのだが、日本フィルの問題が起き、それはおかしいのではと奮起して日本フィルに入団し、解雇されたばかりの楽団の情宣部で、泊まり込みもあり忙しかった。
大学院を卒業した後、二人でミュンヘンに留学した。
運よく、とても快適な下宿に巡り合ってそこの叔母さんに可愛がられた。長男が生まれ、彼女は自分の孫のように接してくれた。
留学中にはソリストとしての推薦もあったが、日本フィルとの約束を守って2年で帰国。
石井は楽団長を務めることになって、母子家庭ですかと言われるくらい家に落ち着いている暇がなかった。それでも年1回はちゃんとしたリサイタルを開こう、それも10回目までは全部新しい曲で、と決めて自分の勉強もおろそかにしなかった。
私は帰国後、次々に子供が生まれて子育てに忙しかったが、それでも一緒にやっていきたいという気持ちが強く、何とか頑張って練習した。能力の無い私なんかが弾いていてどうなることかと思えた時期もあった。でもこれだけ忙しい石井だから、時を選ばず一緒に練習できる私とでないとリサイタルは成り立たないと思い、練習した。
帰国後に住み着いた小平という場所が良かった。
古いマンションだったが、夜10時まで音が出せた。11時頃まで弾いていたこともあった。車がほとんど入ってこない行き止まりの場所だったので子供たちは外でのびのび遊べた。同じような年齢の子供たちがたくさんいた。みんな仲が良かった。
宏樹庵に移り住むまで、36年間小平で過ごした。
その間、全国各地に赴き、演奏会を開き、様々な人と出会い、たくさんの幸せをもらった。
今年6月7日の東京でのリサイタルは39回目。
来年は40回になるので今後の事を考えるきっかけにしよう。
前から石井が言っているように80歳まで現役で弾いていたいと私も思う。弾きたい曲もあるし、二流の私でももう少し上手に弾けるようになるかもしれないとも思う。音楽の素晴らしい力を信じていたい。
でも、演奏会の形態は今のままでなくても、と思ったりしている。
結婚記念日の夕食はいつものように濡縁で。
メインは私達にしては珍しくお肉。最上級の牛肉と豚肉も少し。野菜はきのこ以外は畑のもの。
祝い酒は村重酒造の社長さんが先日直々に宏樹庵に持ってきて下さったお酒。少ししか作っていないので中々手に入らないそうだ。私もこのラベルは初めて見た。フレッシュな美味しさが口に拡がった。
肉汁が下に落ちないように鉄製のグリルパンを買った。とても美味しく焼けた。
最上級の牛肉。ミディアムに焼いて美味しかった。
臥龍錦松。
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