瀬戸内海は8世紀頃から九州と畿内を結ぶ重要な航路だった。加えて大陸文化の流入においても需要な交通路となった。江戸時代になるとますます船の往来は頻繁になり北前船などの「風待ち港」「潮待ち港」が各地で活況を呈した。
大崎上島でも廻船問屋がいくつも立ち並び、山が海に迫っていて平らな土地が少ないので木造でも3階建て、中には5階建ての建物を作って、今でもそれは残っている。江戸時代には小早川水軍が活躍した場所でもある。造船業も盛んで、日本有数の大型木造船の製造技術を持っていた。明治になってから商船専門学校が出来、今も国立の商船学校として学生を集めている。
しかし、こうした賑わいも明治20年の山陽鉄道の開通によって陸上交通に移行してから次第に無くなり、今の島には昔の面影はあちこちに残ってはいるものの、静かな、多島美に癒される島となっている。

その大崎上島へ1年半ぶりに出かけた。
山陽道岩国から車を走らせること1時間ほどで河内に、そこで高速を降りて竹原へ、竹原港からフェリーで大崎上島に渡る。
大崎下島には本州側から島伝いに橋がかけられているのに、この島だけはフェリーでしか行けない。
フェリーで行く途中、変な島があった。
聞くところによると、それは契島という島で、島全体が鉛工場でその社員しか上陸できないとのこと。日本の鉛のほとんどをそこで製造しているそうだが、機械のような物がひしめき合って建っており不気味な感じだった。
フェリーが到着した港の島の裏側にホテルはあった。
眼の前に瀬戸内海が拡がり、手前の島の間から見える向こう側は愛媛の今治あたり。晴れていたら1000メートル級の楢原山などが見えただろうに… 東京の方が早く梅雨明けしたのが羨ましい。露天風呂は海のすぐ上にあり、眺めは抜群!朝焼けを映した湯面も美しかった。

翌日、醤油醸造所を訪れた。
今は少なくなった木桶を使って、またクーラーを使わず天然の環境の中で作っている所。
アットホームな工場(?)で、見学したいのですが、と言うと2,3人しかいないうちの一人が出て来て丁寧に説明してくれた。
広島県産の大豆と小麦、香川県産の塩が原料で、夏場は麹の発酵に向かないので11月から4月のうちに作り、今は寝かせて熟成させているところだそうだ。木桶は200年使えると聞いてびっくり。五橋の酒井さんも木桶で酒を造ろうというスタンスで、木桶の会が東京であった時お会いしましたとその人は言っていた。

蝉は鳴きはじめたが、まだじめじめと雨が降ったり止んだり。
庭のブルーベリーが鈴なりで晴香たちが来たら食べられるだろう。

契島
契島
大崎上島へ
海水浴場
ホテルのすぐ下には海水浴場もあった。
大きな船
近くをこんな大きな船が通る。きっと海は深いのだろう。
ここは島めぐりの船や漁船、造船に使うのかとても重そうな部品を曳航する船など様々な船が通った。
朝焼けの露天風呂
湯面に朝焼けが映る露天風呂
日ノ出
日の出は5時22分
醤油作り
木桶が22個並ぶ。いい香りが満ちていた。
説明してくれた醤油作り
丁寧に説明をしてくれた工場の人。自然が相手だとさぞ大変だと思うが愛情が感じられた。