地元の人達は国立岩国病院のことを「国病」と呼んでいた。バス停も「国病前」、踏み切りも「国病踏切」・・・
昨年3月24日に新しく愛宕山に出来た病院に移転し、ここには空っぽになった建物が残されていた。その後解体工事が始まり、病院、研修会館、体育館、看護学校、病院に勤務する人達の家、保育園などすべてが取り壊されて今、整地が進んでいる。これだけの大工事でも岩国が潤うわけではなく、残念ながら入っていたのは広島の企業だった。
毎年桜の季節になると、こんなにも桜の木が多かったのかとびっくりするくらい満開の桜が見事だった。これは残してほしかった。しかし非情にも数本の木を残してあとはすべて切られて掘り返され無くなった。

跡地を何に使うのか誰も知らない。




大きな銀杏の樹も切られてしまった


1年前の病院の建物