8月1日、陽子とその子供二人と、宏二郎とそのお嫁さん藍ちゃんと私とで東京から兵庫県の豊岡まで出かけた。石井も午前中の会議を終えて夜には私達と合流、久し振りの家族旅行となった。
 豊岡の実行委員会は私達家族が若い頃、毎年演奏会を企画して下さり、子供達は海や川へ連れて行っていただいたり、実行委員長さんのお庭で、そちらの家族と一緒にカレーを作ったり、いろいろ楽しい思い出がいっぱい詰まった所。毎年行っていたので、ある時、秀太郎が小学校4年生くらいだったと思うが、下の弟と妹を連れて子供だけで行ったこともある。その時、新幹線が少し遅れて、京都駅で一番端っこの山陰線まで小さな手を引いて走ったそうだ。まだ携帯電話などもちろん無い時代。
 もう長いこと実行委員の方たちのそれぞれの事情で演奏会もできなくなって、実行委員長さんも亡くなられた。でもその奥様はご健在で、陽子の子供達が、ちょうどその頃の陽子の年頃になったので、久し振りに行ってみることにしたのだった。
 こうのとりを見て、夜は懐かしい面々にお会いした。
皆さん、大切な方が亡くなったりいろいろなことがあって年を重ねてはいたが、思ったよりお元気でうれしかった。

 翌日は岡山から児島というところに行き、晴香と絢香は大太鼓に挑戦。児島の駅で高松行きのアンパンマン列車に遭遇して大喜び。
 3日に宏樹庵に帰った。
 4日は宇部で石井の母の法事があり、晴香たちの従妹に会えて大はしゃぎ。
 5日からは宏樹庵に石井の弟子のDさんとKさんが子連れで泊まりに来たので、子供が9歳を先頭に1歳まで8人。途中で秀太郎が子供を連れて来たり、来年生まれるという夫婦が加わったり、大変賑やかだった。
ご飯も朝から卵12個のオムレツを作ったり、洗濯機は一日中廻っていたり、誰かが泣いていたり、お母さんが怒っていたり・・・
でも流しそうめんや海水浴や川遊びや花火などいろいろやって楽しかった。
今年は錦帯橋のたもとのチケット売場で41度を記録するなど猛烈な暑さが何日も続いた。冷房のない宏樹庵で走り回る子供達の熱気はますますここの温度を上げている感じだったが、特に救急車を呼ぶこともなく、12日に無事その家族達は帰って行った。

 後に残った陽子は、晴香がジンマシンにかかり大変だったが、24日の演奏会に向けて練習を開始、24日は無事、好評のうちに演奏会を終え、翌25日に私と石井と陽子たちは宏樹庵を後にした。

法師蝉がせわしなく鳴いていた。







こうのとりの施設に置かれた私の母の書碑
(私達の演奏会が企画されなくなってだいぶ経ってから、
全く別のつながりから母の書碑が豊岡のあちこちに建てられた。不思議なご縁)


大太鼓に挑戦、二人ともリズム良く叩いていた。





由宇の潮風公園


最後の晩、花火をする前に虫除けのシールを貼ってくれるDさん。
一人一人に「何が楽しかったですか?」
あれ、晴香がいない?


みんなが帰った後にはお料理にも挑戦、冷やし中華のきゅうりを切る。
卵は上手に割れる。