この宏樹庵の元の家を建てた私の曽祖父、米本靖には子供がいなかったので、村重から祖父哲雄が養子に来て、竹中から嫁をもらい米本家を継いだ。
祖母は大変美しい人だった。私も大好きで、夏休みごとにその頃住んでいた横浜小机町の家に何日間か泊まりに行った。ホタルが飛んでいた。盆踊りの日になると祖母はうっすらと口紅を付けてくれてみんなで踊りに行った。でも、私が十の時、亡くなった。
祖父は長生きして、仕事が関東だったので宏樹庵には住まなかったが、村重の家の甥に管理を頼んで常に家のことは気にしていたようだ。私の父が一昨年亡くなって手紙の整理をしていたら、祖父が克明に指示を出していた様々なやりとりの書面が出てきた。
米本家。家。
私の父、米本禮太郎は一昨年7月に亡くなった。
その子供は私を頭として女3人。
米本の姓を誰が継ぐか、ずいぶん前から話題にはのぼっていた。
家族会議を開いたこともあった。長女の私の子供は男2人女1人。次女の所は男1人女1人。私の子供の男のどちらかが米本を継ぐことになるだろうと私は前から思っていたが、一番初めに家族会議をした時にはまだ子供たちの気持ちの整理が出来ていなかった。
それから何年も経って、宏二郎はようやく米本の姓を継ぐことを決心したのに、肝心の米本の方が快く認めてくれなかった。宏二郎は画家として姓無しの「宏二郎」で出発し、画壇の中ではむしろそれが良かったのかもしれなかった。
父が亡くなって少し落ち着いてきた今年の初め、宏二郎が結婚することになり、結婚するなら米本姓で行きたいと申し出た。めでたく私の一番下の結婚していない妹、米本路子の養子となってお嫁さんを迎えることができた。
米本家相続の件は親戚一同に挨拶文を送った。
ディナーコンサート、宏二郎展の準備で宏樹庵に来ていた宏二郎は、ある日忘れ物に気がついて彼女に頼んでこちらに送ってもらった。
送り状には
「受取人 米本宏二郎様 差出人 米本藍」
と書かれていた。
それを見て、ああ、米本姓で結婚したのだなあと改めて思った。
昔風の家風の残る米本家だけれど、宏二郎は自分の流儀で行けばよいと思う。人としての優しさは皆が認めるところだ。
お彼岸なのでお墓の掃除に行き、宏二郎のことを報告した。
祖母は大変美しい人だった。私も大好きで、夏休みごとにその頃住んでいた横浜小机町の家に何日間か泊まりに行った。ホタルが飛んでいた。盆踊りの日になると祖母はうっすらと口紅を付けてくれてみんなで踊りに行った。でも、私が十の時、亡くなった。
祖父は長生きして、仕事が関東だったので宏樹庵には住まなかったが、村重の家の甥に管理を頼んで常に家のことは気にしていたようだ。私の父が一昨年亡くなって手紙の整理をしていたら、祖父が克明に指示を出していた様々なやりとりの書面が出てきた。
米本家。家。
私の父、米本禮太郎は一昨年7月に亡くなった。
その子供は私を頭として女3人。
米本の姓を誰が継ぐか、ずいぶん前から話題にはのぼっていた。
家族会議を開いたこともあった。長女の私の子供は男2人女1人。次女の所は男1人女1人。私の子供の男のどちらかが米本を継ぐことになるだろうと私は前から思っていたが、一番初めに家族会議をした時にはまだ子供たちの気持ちの整理が出来ていなかった。
それから何年も経って、宏二郎はようやく米本の姓を継ぐことを決心したのに、肝心の米本の方が快く認めてくれなかった。宏二郎は画家として姓無しの「宏二郎」で出発し、画壇の中ではむしろそれが良かったのかもしれなかった。
父が亡くなって少し落ち着いてきた今年の初め、宏二郎が結婚することになり、結婚するなら米本姓で行きたいと申し出た。めでたく私の一番下の結婚していない妹、米本路子の養子となってお嫁さんを迎えることができた。
米本家相続の件は親戚一同に挨拶文を送った。
ディナーコンサート、宏二郎展の準備で宏樹庵に来ていた宏二郎は、ある日忘れ物に気がついて彼女に頼んでこちらに送ってもらった。
送り状には
「受取人 米本宏二郎様 差出人 米本藍」
と書かれていた。
それを見て、ああ、米本姓で結婚したのだなあと改めて思った。
昔風の家風の残る米本家だけれど、宏二郎は自分の流儀で行けばよいと思う。人としての優しさは皆が認めるところだ。
お彼岸なのでお墓の掃除に行き、宏二郎のことを報告した。
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