お天気が良かったので吉香公園に散歩に行った。
吉香公園というのは岩国藩主吉川家や家老などの住居跡を一時岩国高校が所有し、その移転ののち、公園に整備された所。初代藩主吉川広家は毛利元就の孫で、広家の弟の小早川とともに毛利の両川と言われ、地元の繁栄に力を尽くした。その五家老の一人に香川正恒という人がいて、藩主をよく助けたのだろう。吉香公園の名前もその吉川と香川から来ているそうだ。家老とお殿様の名前をつなげるのは珍しい。
新聞に「旧吉川家門長屋崩れる」との記事が載っていたので見に行った。
それは錦帯橋を渡ってすぐの所に、香川家長屋門と並んで建っている家だった。それは、とても吉川家の物だったとは思えない。入母屋造り、本瓦ぶきの門長屋と言っても、本当にボロ家で、梁が見える程屋根は崩れ、横の方から見ても無残な姿だった。隣りの香川家長屋門は同じ時期(1693年)に建てられたものなのに県指定有形文化財に指定されていて、立派な当時の構えを保っている。何故、家老の家の方が立派なのか不思議に思った。
吉川資料館の館長さんにお話しを伺ってやっと納得した。その家は吉川家の物と言っても石見から来た吉川の物で、戦前から誰かに貸して長屋として使われていたのだが、雨漏りし始めて誰も住む者がいなくなり、1997年の市の調査で「市指定文化財の価値は十分にある」とのことで半分は市が購入。しかし、あと半分は所有者が全然相続しておらず、その時点で手続きを必要とする人が37人にものぼり、中には外国に行った人もいて、相続権が引き継げなかったそうだ。裁判所に訴えて、財産放棄の仮手続きなど踏めば引き継げなかったこともなかっただろうが、市がそこまで本気ではなかったのだろう。そのままずるずると放っておかれ、11月1日午後、突然大きな音とともに崩れたと言う。
今日も観光客がたくさん通っていた。その影に、相続権を引き継いでこなかったばかりに無残に崩れ去る家があった。
結局、住んでいた人に家に対する愛着がなかったのだろう。宏樹庵はその家に比べたら明治の終わりに建った家なので新しいが、初めに見た時はもうだいぶ痛んでいてどうしようかと思った。でも残そうという気持ちが働いて、今のような家になった。このような家は新たには作れない。残して良かった。大切に次の世代まで残そう。
吉香公園というのは岩国藩主吉川家や家老などの住居跡を一時岩国高校が所有し、その移転ののち、公園に整備された所。初代藩主吉川広家は毛利元就の孫で、広家の弟の小早川とともに毛利の両川と言われ、地元の繁栄に力を尽くした。その五家老の一人に香川正恒という人がいて、藩主をよく助けたのだろう。吉香公園の名前もその吉川と香川から来ているそうだ。家老とお殿様の名前をつなげるのは珍しい。
新聞に「旧吉川家門長屋崩れる」との記事が載っていたので見に行った。
それは錦帯橋を渡ってすぐの所に、香川家長屋門と並んで建っている家だった。それは、とても吉川家の物だったとは思えない。入母屋造り、本瓦ぶきの門長屋と言っても、本当にボロ家で、梁が見える程屋根は崩れ、横の方から見ても無残な姿だった。隣りの香川家長屋門は同じ時期(1693年)に建てられたものなのに県指定有形文化財に指定されていて、立派な当時の構えを保っている。何故、家老の家の方が立派なのか不思議に思った。
吉川資料館の館長さんにお話しを伺ってやっと納得した。その家は吉川家の物と言っても石見から来た吉川の物で、戦前から誰かに貸して長屋として使われていたのだが、雨漏りし始めて誰も住む者がいなくなり、1997年の市の調査で「市指定文化財の価値は十分にある」とのことで半分は市が購入。しかし、あと半分は所有者が全然相続しておらず、その時点で手続きを必要とする人が37人にものぼり、中には外国に行った人もいて、相続権が引き継げなかったそうだ。裁判所に訴えて、財産放棄の仮手続きなど踏めば引き継げなかったこともなかっただろうが、市がそこまで本気ではなかったのだろう。そのままずるずると放っておかれ、11月1日午後、突然大きな音とともに崩れたと言う。
今日も観光客がたくさん通っていた。その影に、相続権を引き継いでこなかったばかりに無残に崩れ去る家があった。
結局、住んでいた人に家に対する愛着がなかったのだろう。宏樹庵はその家に比べたら明治の終わりに建った家なので新しいが、初めに見た時はもうだいぶ痛んでいてどうしようかと思った。でも残そうという気持ちが働いて、今のような家になった。このような家は新たには作れない。残して良かった。大切に次の世代まで残そう。
崩れた吉川家門長屋
崩れた家の隣は立派な香川家の長屋門
香川家長屋門正面
コメント
コメント一覧 (2)
本当に無残な姿でした。
またミュージックキャンプでお会いしましょう。
お父様のこと、遅まきながら心よりご冥福をお祈り申し上げます。
…それにしても「崩れた吉川家門長屋」の写真、思わず初コメントしてしまうほど衝撃的でした。
錦帯橋から吉香公園に行く時には必ずその前を通っていたので、いつもの見慣れた風景が無残な様子なのは何とも言えず複雑な気分です。。。