それは急な話だった。でも行って良かった。
錦帯橋芸術祭。岩国市が主催する9月から11月にかけての芸術祭の一環として11月10日から12日まで錦帯橋に沿って錦川の川面と錦川の両岸に篝火を焚き、界隈の美術館もナイトミュージアムと称して開館延長し、様々な場所で様々な催し物が開催される。市が主催といっても予算がないので民間の志のある人たちが祭りを盛り上げている。石井に頼みに来たのは、いろやギャラリーと言う錦帯橋の近くにガラス工芸品その他細々とした細工物を置いている店の主人だが、若くて行動力のある彼女は岩国に帰ってきて様々なイベントを成功させている。幸明館の落成式の折、五橋の酒井さんが紹介して下さって以来のご縁なのだが、ピアノが無いのでヴァイオリン1本でトークと演奏の30分の会という事だった。
岩国には城があり、吉川という殿様が藩を治めていた。この殿様は争いを好まず、重要なところではいろいろと水面下のやり取りでうまく調整し、それが功を成していた。教育にも熱心で、岩国から日本を代表する人材が何人も輩出されている。そんな熟成した文化を本来持っている岩国なのだが何とも皆おとなしい。吉川家の藩政のDNAが岩国人の根っこに受け継がれているのかもしれないが・・・。 米軍の基地が拡張され何千人もの米兵が来て、その住宅を整備し、軍用機が何機も配備され騒音が倍増されてもあまり文句は言わない。これから益々国の防衛予算からのお金が岩国の財政に占める割合が高くなり依存性が高まる。広島の原爆はここで皆見ている。私の叔母たちは疎開でここに来ていて年上の叔母は大竹の工場で働いていた。原爆の落とされた日、やっとの思いで家に帰り着いた。戦争は絶対反対だが、政府のアメリカ寄りの政策には表立って反対は言わない。
宏樹庵が出来たのは1999年。石井が日本フィルを定年退職してここに居を定めたのは2012年。
吉川の殿様とのつながりも出来て少しずつ岩国の文化の歴史の厚みを感じているこの頃だったので、何とか岩国の文化をこれから先の世代も引っ張って高めていこうと、急な話に乗った。
石井の夢は拡がる。
錦川に舟を浮かべてそこでオーケストラの饗演をやろう。その合図は山の頂上の城での金管楽器のファンファーレ!!
川面の篝火も薪を使い、浅瀬や舟から継ぎ木をしていた。一番手前の篝火の継ぎ木をしている人影が見える。
狭いいろやの店内は満員のお客様。壁には宏二郎のろうそくの絵が。
聴きに駆けつけて下さった吉川のお殿様。錦帯橋をかけた殿様の直系。32代目の当主。
2次会を終えて階下に行くと偶然にも彫刻家の澄川喜一氏とばったり会う。ここで講演会があったそうだ。
同じ東京芸術大学出身で(澄川氏は元東京芸大の学長)彼は自身の彫刻の原点を錦帯橋と言っている。
一緒に岩国の文化向上に貢献しようと握手。写真左から五橋の酒井氏、吉川の殿様、澄川氏、石井。
錦帯橋芸術祭。岩国市が主催する9月から11月にかけての芸術祭の一環として11月10日から12日まで錦帯橋に沿って錦川の川面と錦川の両岸に篝火を焚き、界隈の美術館もナイトミュージアムと称して開館延長し、様々な場所で様々な催し物が開催される。市が主催といっても予算がないので民間の志のある人たちが祭りを盛り上げている。石井に頼みに来たのは、いろやギャラリーと言う錦帯橋の近くにガラス工芸品その他細々とした細工物を置いている店の主人だが、若くて行動力のある彼女は岩国に帰ってきて様々なイベントを成功させている。幸明館の落成式の折、五橋の酒井さんが紹介して下さって以来のご縁なのだが、ピアノが無いのでヴァイオリン1本でトークと演奏の30分の会という事だった。
岩国には城があり、吉川という殿様が藩を治めていた。この殿様は争いを好まず、重要なところではいろいろと水面下のやり取りでうまく調整し、それが功を成していた。教育にも熱心で、岩国から日本を代表する人材が何人も輩出されている。そんな熟成した文化を本来持っている岩国なのだが何とも皆おとなしい。吉川家の藩政のDNAが岩国人の根っこに受け継がれているのかもしれないが・・・。 米軍の基地が拡張され何千人もの米兵が来て、その住宅を整備し、軍用機が何機も配備され騒音が倍増されてもあまり文句は言わない。これから益々国の防衛予算からのお金が岩国の財政に占める割合が高くなり依存性が高まる。広島の原爆はここで皆見ている。私の叔母たちは疎開でここに来ていて年上の叔母は大竹の工場で働いていた。原爆の落とされた日、やっとの思いで家に帰り着いた。戦争は絶対反対だが、政府のアメリカ寄りの政策には表立って反対は言わない。
宏樹庵が出来たのは1999年。石井が日本フィルを定年退職してここに居を定めたのは2012年。
吉川の殿様とのつながりも出来て少しずつ岩国の文化の歴史の厚みを感じているこの頃だったので、何とか岩国の文化をこれから先の世代も引っ張って高めていこうと、急な話に乗った。
石井の夢は拡がる。
錦川に舟を浮かべてそこでオーケストラの饗演をやろう。その合図は山の頂上の城での金管楽器のファンファーレ!!
川面の篝火も薪を使い、浅瀬や舟から継ぎ木をしていた。一番手前の篝火の継ぎ木をしている人影が見える。
狭いいろやの店内は満員のお客様。壁には宏二郎のろうそくの絵が。
聴きに駆けつけて下さった吉川のお殿様。錦帯橋をかけた殿様の直系。32代目の当主。
2次会を終えて階下に行くと偶然にも彫刻家の澄川喜一氏とばったり会う。ここで講演会があったそうだ。
同じ東京芸術大学出身で(澄川氏は元東京芸大の学長)彼は自身の彫刻の原点を錦帯橋と言っている。
一緒に岩国の文化向上に貢献しようと握手。写真左から五橋の酒井氏、吉川の殿様、澄川氏、石井。
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