2010年7月東京都新宿区の最勝寺にて父の葬儀がたくさんの人々が見守るなか執り行われた。岩国から駆けつけてくれた親戚の人達もいた。厳かに葬儀が終わった後、外に出てみると思わず「わぁーっ!!!」と声があがる程、空が夕焼けで真っ赤だった。東京都心でもこんな夕空があるんだとびっくりした。
後に母が詠んだ句
「夕焼けて 夫(つま)の残せし 情(こころ)燃ゆ」
父は手の届かぬ西方浄土へ旅立ってしまったが、そこから私たちに向かって「強く生きよ!」とのメッセージを送ってくれたかのようだった。
それから13年、母は当初は妹と二人で生活していたが、その妹も2013年に急に亡くなり、今は中井の家に一人で住んでいる。昨年8月、倒れ、救急車で病院に運ばれて入院したが間もなく退院、今はとても元気になった。今年6月のリサイタルの折には約10年ぶりに会場へ足を運ぶこともできた。
7月24日(月)午後5時より中井でホームコンサートを開いた。
陽子の末娘ほのか:高木東六「木馬は走る」、母:モーツァルト「幻想曲」、晴香と絢香と陽子で久石譲「人生のメリーゴーランド」、史子と私でベートーヴェン「ロマンスト長調」、石井と私で「ウィーン奇想曲」、そして最後に陽子と私で野田暉行編曲「夕焼け小焼け」を演奏した。
晴香に、今回のコンサートは夕焼けのイメージでやりたいからプログラムの絵も夕焼けを描いてと頼んだら、本当に真っ赤な夕焼けの絵を描いてくれた。何故か走る馬がいて、ゆったりと空を舞うカラスとの対比も良かった。
モーツァルトの幻想曲。母はどうしても元気よく弾いてしまうところを、私の厳しいレッスンもあり、何とか本番は情緒豊かに弾けた。今年11月で満96歳になるが、弾きたいという意欲があるのは大したものだと思う。ホームコンサートも今回4回目で初めての時より母はずいぶん難しい曲が弾けるようになった。
そして、コンサートの翌朝、母はもう新しい曲の譜読みをしていた!!!
絢香が書いてくれたプログラム。これも夏らしくて良かった。
晴香の夕焼けの絵
後に母が詠んだ句
「夕焼けて 夫(つま)の残せし 情(こころ)燃ゆ」
父は手の届かぬ西方浄土へ旅立ってしまったが、そこから私たちに向かって「強く生きよ!」とのメッセージを送ってくれたかのようだった。
それから13年、母は当初は妹と二人で生活していたが、その妹も2013年に急に亡くなり、今は中井の家に一人で住んでいる。昨年8月、倒れ、救急車で病院に運ばれて入院したが間もなく退院、今はとても元気になった。今年6月のリサイタルの折には約10年ぶりに会場へ足を運ぶこともできた。
7月24日(月)午後5時より中井でホームコンサートを開いた。
陽子の末娘ほのか:高木東六「木馬は走る」、母:モーツァルト「幻想曲」、晴香と絢香と陽子で久石譲「人生のメリーゴーランド」、史子と私でベートーヴェン「ロマンスト長調」、石井と私で「ウィーン奇想曲」、そして最後に陽子と私で野田暉行編曲「夕焼け小焼け」を演奏した。
晴香に、今回のコンサートは夕焼けのイメージでやりたいからプログラムの絵も夕焼けを描いてと頼んだら、本当に真っ赤な夕焼けの絵を描いてくれた。何故か走る馬がいて、ゆったりと空を舞うカラスとの対比も良かった。
モーツァルトの幻想曲。母はどうしても元気よく弾いてしまうところを、私の厳しいレッスンもあり、何とか本番は情緒豊かに弾けた。今年11月で満96歳になるが、弾きたいという意欲があるのは大したものだと思う。ホームコンサートも今回4回目で初めての時より母はずいぶん難しい曲が弾けるようになった。
そして、コンサートの翌朝、母はもう新しい曲の譜読みをしていた!!!
絢香が書いてくれたプログラム。これも夏らしくて良かった。
晴香の夕焼けの絵
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