4月4日のシンフォニア岩国でのファミリーコンサートのために陽子は3月28日に子供たちを連れて宏樹庵に来る予定だった。ところがコロナの影響で学校が休みになったので前倒しして23日にやってきた。コンサートは急遽大ホールでの開催となる等、異例の形ではあったが無事終了、お客さんも喜んで帰られた。
そして当初は、陽子達は新学期が始まるので4月6日に帰る予定だった。しかし学校は始まりそうもない。もう少しここにいようかと躊躇しながらも様子を見る。4月12日からは宏樹庵と幸明館で宏二郎展が始まった。開催中は子供たちはここでは遊べないのでツリーハウスに行って勉強したり遊んだりしていた。ツリーハウスが完成していて良かった。晴香と絢香は寝袋を持って何度か寝泊りもした。宏二郎展の時は岩国の老舗のお菓子屋さんに宏二郎の絵に合わせて宇宙的な和菓子を作って頂いた。そしてお茶を点てて宏二郎との話もゆっくりしてもらう予定だった。しかしお茶の先生が前々日になって急に辞退され、仕方なく藍と陽子が着物を着てお茶を点てることになった。もちろんお茶の作法など全く素人だったが、お茶の先生が前日一通りの事は教えて下さった。陽子がやってくれて大助かりだった。
4月19日に宏二郎展は終わり、反省会も兼ねて晴香の誕生会を宇兵衛寿司でした。
晴香は11歳になった。11歳と言えばもう大人になりかけ?と思うのだがまだまだやることは子供っぽい。もう少し思考力を使ってほしい。気はよくまわるし、勘は良いのだが。
5月3日から始まる予定だったミュージックキャンプは中止にした。小さい子のために編曲をいくつかしたのでその演奏を聞きたかった。本当に残念だった。そこで宏樹庵にいる人達だけで5月5日にコンサートをしようということになった。陽子と3人の子供たち、宏二郎と一青、そして藍も弾くことになった。もちろん私達も。みんなこの日のために練習練習。そして本番はそれなりに皆緊張して、子供たちは上手に弾き、30年ぶりにヴァイオリンを持った宏二郎も思った以上に弾けた。宏二郎展があったのでそれが終わってからの短い練習期間だったのにもかかわらずだ。ハイドンのピアノトリオは初心者がよく演奏する曲だが、陽子の手にかかるとやはり子供が弾くのとは大違いでセンスが光った。
連休が終わってもまだ学校は始まらない。そのうちに学校からプリントが配られたりネットで授業が始まったりした。晴香と絢香は一応毎日午前中は時間割通り机に向かって勉強するようになった。5歳の一青とほのかも見習ってドリルなどに取り組んでいた。
私は毎日午前中は山のようにある洗濯物を干し終えると9人分の食事の材料を買い出しに。午後は絢香とほのか、一青のピアノのレッスン。朝も昼も夜も一青は晴香たちと食事も遊びも、それこそ寝食を共にし、兄弟のようだった。一青は一人っ子なので周りへの気配りに欠けるが少し鍛えられたように思う。
晴香たちのパパとはテレビ電話で時々話していた。2か月も離れていることは今までになかった事なのでパパも寂しかっただろう。非常事態宣言が出され自粛が求められていたが、この辺りでは感染者がいなかったので晴香達は海や広い公園や錦帯橋に行ったり、また宏二郎展が終わって宏二郎に余裕が出来た後は絵画教室も開いたりとのびのびと過ごしていた。
5月24日、とうとう晴香達は帰って行った。
4月6日に急いでさいたまに帰らなくて良かった。元気な子供たちだった。
東京駅では迎えに来たパパを見つけると「パパーっ!」と言って走り寄って行ったそうだ。

母の日。初めて子供たちと孫たちも一緒にお祝いしてくれた。

素敵な紫陽花のプレゼント


ご馳走もたいそうなものでした。

5月5日のミニコンサートのプログラム

晴香と絢香はゴセックのガヴォットを演奏。フラジオや弓を飛ばして弾く技術もこなす!

絵画教室

錦帯橋、人はほとんどいない。

海

貝を拾ったり生き物を探したり

最後の晩のピザ作り、宏二郎が石窯で焼く。


石窯の余熱で焼いたパンとケーキ

花火もした。
そして当初は、陽子達は新学期が始まるので4月6日に帰る予定だった。しかし学校は始まりそうもない。もう少しここにいようかと躊躇しながらも様子を見る。4月12日からは宏樹庵と幸明館で宏二郎展が始まった。開催中は子供たちはここでは遊べないのでツリーハウスに行って勉強したり遊んだりしていた。ツリーハウスが完成していて良かった。晴香と絢香は寝袋を持って何度か寝泊りもした。宏二郎展の時は岩国の老舗のお菓子屋さんに宏二郎の絵に合わせて宇宙的な和菓子を作って頂いた。そしてお茶を点てて宏二郎との話もゆっくりしてもらう予定だった。しかしお茶の先生が前々日になって急に辞退され、仕方なく藍と陽子が着物を着てお茶を点てることになった。もちろんお茶の作法など全く素人だったが、お茶の先生が前日一通りの事は教えて下さった。陽子がやってくれて大助かりだった。
4月19日に宏二郎展は終わり、反省会も兼ねて晴香の誕生会を宇兵衛寿司でした。
晴香は11歳になった。11歳と言えばもう大人になりかけ?と思うのだがまだまだやることは子供っぽい。もう少し思考力を使ってほしい。気はよくまわるし、勘は良いのだが。
5月3日から始まる予定だったミュージックキャンプは中止にした。小さい子のために編曲をいくつかしたのでその演奏を聞きたかった。本当に残念だった。そこで宏樹庵にいる人達だけで5月5日にコンサートをしようということになった。陽子と3人の子供たち、宏二郎と一青、そして藍も弾くことになった。もちろん私達も。みんなこの日のために練習練習。そして本番はそれなりに皆緊張して、子供たちは上手に弾き、30年ぶりにヴァイオリンを持った宏二郎も思った以上に弾けた。宏二郎展があったのでそれが終わってからの短い練習期間だったのにもかかわらずだ。ハイドンのピアノトリオは初心者がよく演奏する曲だが、陽子の手にかかるとやはり子供が弾くのとは大違いでセンスが光った。
連休が終わってもまだ学校は始まらない。そのうちに学校からプリントが配られたりネットで授業が始まったりした。晴香と絢香は一応毎日午前中は時間割通り机に向かって勉強するようになった。5歳の一青とほのかも見習ってドリルなどに取り組んでいた。
私は毎日午前中は山のようにある洗濯物を干し終えると9人分の食事の材料を買い出しに。午後は絢香とほのか、一青のピアノのレッスン。朝も昼も夜も一青は晴香たちと食事も遊びも、それこそ寝食を共にし、兄弟のようだった。一青は一人っ子なので周りへの気配りに欠けるが少し鍛えられたように思う。
晴香たちのパパとはテレビ電話で時々話していた。2か月も離れていることは今までになかった事なのでパパも寂しかっただろう。非常事態宣言が出され自粛が求められていたが、この辺りでは感染者がいなかったので晴香達は海や広い公園や錦帯橋に行ったり、また宏二郎展が終わって宏二郎に余裕が出来た後は絵画教室も開いたりとのびのびと過ごしていた。
5月24日、とうとう晴香達は帰って行った。
4月6日に急いでさいたまに帰らなくて良かった。元気な子供たちだった。
東京駅では迎えに来たパパを見つけると「パパーっ!」と言って走り寄って行ったそうだ。

母の日。初めて子供たちと孫たちも一緒にお祝いしてくれた。

素敵な紫陽花のプレゼント


ご馳走もたいそうなものでした。

5月5日のミニコンサートのプログラム

晴香と絢香はゴセックのガヴォットを演奏。フラジオや弓を飛ばして弾く技術もこなす!

絵画教室

錦帯橋、人はほとんどいない。

海

貝を拾ったり生き物を探したり

最後の晩のピザ作り、宏二郎が石窯で焼く。


石窯の余熱で焼いたパンとケーキ

花火もした。
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