5月27日。この日は55回目の結婚記念日だった。
大学を卒業してすぐの結婚。これに至るまでには親の猛反対があった。なにしろ若かったので、私の親は、そんな音楽家同士の結婚なんてすぐに飽きられて捨てられるに決まっていると言っていた。石井の両親が私の抜き差しならない気持ちを察して、父親が私の父の所に説得に来てくれた。それでようやく結婚にたどり着いて、狭いけれど格調の高いホールで、二人で考えた人前結婚式を挙げた。それから私は大学院に通い、石井は闘争が始まったばかりの日本フィルに翌年飛び込み、忙しかった。大学院を卒業して二人でミュンヘンに行き、そこで長男が生まれた。留学3年目、二人目を身ごもったところで帰国、宇部で次男を出産した。東京に戻って、石井は争議真っ最中の日本フィルで中心になって活動する。大変忙しくて家にいる時間はほどんど無く、母子家庭かと思われるほどだったが、すぐに3人目も生まれて私は子育てに忙しかった。
お互いに忙しかったが、帰国してすぐの1977年に始めたヴァイオリンリサイタルは毎年新しいプログラムでずっと続けた。2020年コロナのために会館が閉まって実施できなかった年を除いて、毎年どんなに忙しくても休むことなく続けた。
今年で48回目。詩は昔から好きだったが、最近は倍賞千恵子の歌、特に谷川俊太郎の詩に武満徹がメロディを付けた「死んだ男の残したものは」が気に入って毎日聴いていた。頼まれた演奏会でもそれをよく弾いた。ウクライナやイランの戦争、そして危なっかしい今の政権を憂いて、平和を自分の音楽の柱にしようと言っていた。
今年のリサイタルのメインの曲はプーランクの「ロルカの追憶」 これもフランコ政権に異を唱えていたスペインの詩人、ガルシア・ロルカが銃殺されてしまったことを悼んで書かれた曲。5月28日京都、6月6日宇部、6月11日東京で準備を進めていた。
5月19日もいつものように夜遅くまで二人で仕上げの練習に余念がなかった。
しかし-----------------
20日朝、布団から起きてこれなかった!!!!
子ども達がすぐに駆けつけてくれた。布団に眠っている顔は本当にそのうちに起きてくるのではと思うような静かな顔だったので、私はずっとここで眠っていてほしいと思ったが、現実はそうもいかず、葬儀への準備が始められた。私の中では時間が止まっているのに、外側だけがどんどん過ぎていく感じだった。そして葬儀は23日24日に近親者のみで自宅でということだったが、思いがけない人も遠くから駆けつけて下さって、無事に執り行われた。
そして、静かになった5月27日、なんと娘が、
「はい! パパに言われて買ってきたよ。」
と真っ赤なバラの花1本を私にくれた。結婚記念日を覚えていてくれたのだった。
本来なら石井と二人でお祝いするのに。いつも1本の赤いバラの花で。
もう触ることが出来なくなってしまったけど、ずっとそばにいてほしい。ずっと。

大学を卒業してすぐの結婚。これに至るまでには親の猛反対があった。なにしろ若かったので、私の親は、そんな音楽家同士の結婚なんてすぐに飽きられて捨てられるに決まっていると言っていた。石井の両親が私の抜き差しならない気持ちを察して、父親が私の父の所に説得に来てくれた。それでようやく結婚にたどり着いて、狭いけれど格調の高いホールで、二人で考えた人前結婚式を挙げた。それから私は大学院に通い、石井は闘争が始まったばかりの日本フィルに翌年飛び込み、忙しかった。大学院を卒業して二人でミュンヘンに行き、そこで長男が生まれた。留学3年目、二人目を身ごもったところで帰国、宇部で次男を出産した。東京に戻って、石井は争議真っ最中の日本フィルで中心になって活動する。大変忙しくて家にいる時間はほどんど無く、母子家庭かと思われるほどだったが、すぐに3人目も生まれて私は子育てに忙しかった。
お互いに忙しかったが、帰国してすぐの1977年に始めたヴァイオリンリサイタルは毎年新しいプログラムでずっと続けた。2020年コロナのために会館が閉まって実施できなかった年を除いて、毎年どんなに忙しくても休むことなく続けた。
今年で48回目。詩は昔から好きだったが、最近は倍賞千恵子の歌、特に谷川俊太郎の詩に武満徹がメロディを付けた「死んだ男の残したものは」が気に入って毎日聴いていた。頼まれた演奏会でもそれをよく弾いた。ウクライナやイランの戦争、そして危なっかしい今の政権を憂いて、平和を自分の音楽の柱にしようと言っていた。
今年のリサイタルのメインの曲はプーランクの「ロルカの追憶」 これもフランコ政権に異を唱えていたスペインの詩人、ガルシア・ロルカが銃殺されてしまったことを悼んで書かれた曲。5月28日京都、6月6日宇部、6月11日東京で準備を進めていた。
5月19日もいつものように夜遅くまで二人で仕上げの練習に余念がなかった。
しかし-----------------
20日朝、布団から起きてこれなかった!!!!
子ども達がすぐに駆けつけてくれた。布団に眠っている顔は本当にそのうちに起きてくるのではと思うような静かな顔だったので、私はずっとここで眠っていてほしいと思ったが、現実はそうもいかず、葬儀への準備が始められた。私の中では時間が止まっているのに、外側だけがどんどん過ぎていく感じだった。そして葬儀は23日24日に近親者のみで自宅でということだったが、思いがけない人も遠くから駆けつけて下さって、無事に執り行われた。
そして、静かになった5月27日、なんと娘が、
「はい! パパに言われて買ってきたよ。」
と真っ赤なバラの花1本を私にくれた。結婚記念日を覚えていてくれたのだった。
本来なら石井と二人でお祝いするのに。いつも1本の赤いバラの花で。
もう触ることが出来なくなってしまったけど、ずっとそばにいてほしい。ずっと。















