10月26日は妹が亡くなった日。
私と7つ違いの妹は日本女子大食物学科を卒業し日清製粉に入社してあちこちの有名なレストランのシェフともつながり、仕事は人一倍できる人だった。実家の近くに家を借りてお料理教室を開いたり、仲間をたくさん招いてパーティを開いたり、精力的に活動していた。母が書道の重鎮だった関係で書もやっていて、銀座に大人の書道教室も持っていた。とにかく人の何倍もの仕事をこなしていた。
自分の身体の異常に気が付いたのは2012年春。食べても何かつっかえると言う。強制的に診断を受けさせたら、食道癌から全身に癌が転移していて余命6か月と宣告された!
それからも妹は病院で寝間着など着ずに、平服でいろいろな人に会い、自分でもどうしたら生き延びられるかいろいろ調べて、鹿児島の病院で特別な治療をしている先生と出会った。8月に鹿児島の病院に行った。ピンポイントの治療で食道の癌は小さくなり、食べ物はずっと口から食べられた。しかし体中がむしばまれているのだから体力は落ち、ある時突然立てなくなった。それでも妹はまだ治療を受けると言っていたが、もう限界と私は感じて、東京行きの飛行機の手配をした。
もう立てないので寝たきり。飛行機に乗せるのも無理があったが、東京に帰したいという私の切羽詰まった思いで乗せて帰った。
東京女子医大は羽田からの救急車の要請に何とか対応してくれて受け入れてくれた。東京に帰って来てまだ意識はあった。母にごめんなさいと言っていた。2日後に亡くなった。よく帰って来れたとしみじみ思う。
10月19日中井ですぐ下の妹夫婦と陽子達とで十三回忌の法要を執り行った。
今頃は大好きだった父とのびのびとお空の上で楽しんでいることと思う。

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晴香たちと。

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