2017年暮も押し迫っての12月26日(火)東京文化会館にて石井啓子アンサンブルシリーズⅩⅩⅧが開催された。
1987年にこのシリーズを始めて以来ずっと日本フィルのメンバーと共演してきたが25回、四半世紀を終えて、思い切ってそれを解消し、桜庭茂樹氏と石突美奈さんに共演をお願いした。2014年のその会は杉並公会堂であまり宣伝もせずにやってみて、でもうれしいことに続けて出来そうなので翌年からは東京文化会館でナンバーもⅩⅩⅥとして開催した。
ベートーヴェンは音楽家でありながら耳が聞こえなくなり遺書を書いた。しかし音楽への情熱はその苦難を乗り越えて、その後次々と傑作を生みだす。私はどうしてもその事と桜庭氏の事とを重ねて考えてしまう。一時本当に演奏が困難だった時代から抜け出せたのは彼の音楽に対する強い願望だと思う。今は素晴らしいチェリストとして私の良き共演者として演奏してくれている。彼に出会えて私は幸せだった。今回の演奏会でもつくづくそう思った。
プログラムの最初はベームの2本のフルートとピアノのための小品。陽子と石井と私の親子で演奏してほっこりした後、陽子と私でディリアスのソナタ2番。これはヴァイオリンの曲なので息継ぎなど曲の作り方はフルーティストにとって難しかったと思うが、陽子は暗譜で陽子ワールドを繰り広げ、美しかった。そしてベートーヴェンのピアノ三重奏曲作品70-1。石突美奈さんと桜庭氏と私。ベートーヴェンの斬新な曲想が光る。休憩後、ショスタコーヴィチの珍しい映画音楽などを集めたヴァイオリン2本とピアノの小品。石突美奈さんと石井と私。石突美奈さんの麗しい歌い方がお客を引き付けた。最後は名曲中の名曲、メンデルスゾーンのピアノ三重奏曲1番を石井と桜庭氏と私で。この曲は何度か弾いたことがあるが、このたびは新しい発見がいくつもあった。冒頭のチェロの歌い方は桜庭氏ならではの音楽だった。音楽にとても厳しいある人が数日後に寄せてくれた感想では私のアンサンブル感覚に脱帽との事だった。
慌ただしい年末にもかかわらず360人余りの方々が集まってくださってうれしかった。
次のコンサートに向けてまた人生丸ごと精進あるのみ!
演奏会の終わった後、お正月まで東京で過ごし、3日に岩国に帰った。
演奏終了後、ロビーにて。
1987年にこのシリーズを始めて以来ずっと日本フィルのメンバーと共演してきたが25回、四半世紀を終えて、思い切ってそれを解消し、桜庭茂樹氏と石突美奈さんに共演をお願いした。2014年のその会は杉並公会堂であまり宣伝もせずにやってみて、でもうれしいことに続けて出来そうなので翌年からは東京文化会館でナンバーもⅩⅩⅥとして開催した。
ベートーヴェンは音楽家でありながら耳が聞こえなくなり遺書を書いた。しかし音楽への情熱はその苦難を乗り越えて、その後次々と傑作を生みだす。私はどうしてもその事と桜庭氏の事とを重ねて考えてしまう。一時本当に演奏が困難だった時代から抜け出せたのは彼の音楽に対する強い願望だと思う。今は素晴らしいチェリストとして私の良き共演者として演奏してくれている。彼に出会えて私は幸せだった。今回の演奏会でもつくづくそう思った。
プログラムの最初はベームの2本のフルートとピアノのための小品。陽子と石井と私の親子で演奏してほっこりした後、陽子と私でディリアスのソナタ2番。これはヴァイオリンの曲なので息継ぎなど曲の作り方はフルーティストにとって難しかったと思うが、陽子は暗譜で陽子ワールドを繰り広げ、美しかった。そしてベートーヴェンのピアノ三重奏曲作品70-1。石突美奈さんと桜庭氏と私。ベートーヴェンの斬新な曲想が光る。休憩後、ショスタコーヴィチの珍しい映画音楽などを集めたヴァイオリン2本とピアノの小品。石突美奈さんと石井と私。石突美奈さんの麗しい歌い方がお客を引き付けた。最後は名曲中の名曲、メンデルスゾーンのピアノ三重奏曲1番を石井と桜庭氏と私で。この曲は何度か弾いたことがあるが、このたびは新しい発見がいくつもあった。冒頭のチェロの歌い方は桜庭氏ならではの音楽だった。音楽にとても厳しいある人が数日後に寄せてくれた感想では私のアンサンブル感覚に脱帽との事だった。
慌ただしい年末にもかかわらず360人余りの方々が集まってくださってうれしかった。
次のコンサートに向けてまた人生丸ごと精進あるのみ!
演奏会の終わった後、お正月まで東京で過ごし、3日に岩国に帰った。
演奏終了後、ロビーにて。