2014年05月

学校
廃校になった元柱島小中学校
柱島
柱島に近づく
出航
3隻のうち1隻が先に出航


柱島。
岩国港から南東へ26キロ。人口200人弱。生活はたこ漁などの漁業で成り立っているようだ。岩国港より高速船の定期便が一日3往復している。柱島群島は12の島から成り、そのうち柱島、端島(人口20人)、黒島(人口20人)だけが有人。柱島は遠くから見ると美しい三角形の山の形をしており周防小富士と呼ばれている。集落は南東側の比較的緩やかな斜面にあり、その集落のはずれに古くから信仰を集めてきた賀茂神社がある。神武天皇をはじめ、88柱の神々が祀られていて、御柱の多さから柱島という名が付いたそうだ。近くは海底が深いので大きな船舶の航路になっている。
昭和18年6月8日戦艦陸奥が停泊中謎の爆沈をとげ、柱島の住民が隣の続島などに打ち寄せられた1000を超える遺体を、戦争の相手国に知られることないよう秘密裏に埋葬したそうだ。今、「戦艦陸奥英霊の墓」という碑が建てられている。

その島にミュージックキャンプの後、5月6日に参加者8人で、訪問演奏会を開催するために渡った。
当初は定期便で行くことを考えていたが、出発が朝とても早い時間だったので、漁船やクルーザーなど3隻をチャーターして由宇港から出航した。
思い付きは石井のロビンソン・クルーソー。
無人島や離島が好きで、いつかそんな所で演奏会をしたいというような話を、県会議員槙本氏や五橋の酒井氏と飲みながらしたのがきっかけで、槙本氏が、それなら市の助成を得ることができるかも知れないと、いろいろ尽力してくれて実現した企画だった。
演奏会の会場は5年前に廃校(休校?)になった柱島小中学校の講堂。第1回島民交流会というタイトルが掲げられた会場に、柱島だけでなく、隣の黒島や端島からも住民が船で集まってきてくれて、和やかに演奏会が始まった。
弦楽四重奏で五木の子守唄や青い山脈、フルートで夕焼け小焼けや赤とんぼ、チェロの桜庭氏も参加してくれてサンサーンスの白鳥やルビンシュタインのメロディなどを演奏した。
住民は初めてのクラシックの演奏に触れて、やっぱりテレビで聞くのとは大違いと喜んでくれた。

絢ちゃん
ミュージックキャンプ2014(琴ちゃん
ミュージックキャンプ2014(打ち上げ

終演後は宏樹庵で打ち上げがあり、子供たちの食欲は衰えることを知らず、餃子などを焼いたらあっと言う間になくなってしまった。
2歳になったばかりの琴子はヴァイオリンを逆さまに持ってチェロのように弾き、晴香や絢香も桜庭先生に弾き方を教えてもらった。みんな楽しそうに弾いていた。

音楽することは楽しい。
また来年も集まろうね!

ミュージックキャンプ2014(2
5月3日から3日間のミュージックキャンプが始まる。
参加者が5月1日から少しずつ集まり始め、3日に宏樹庵に泊まるのは男性11人、女性6人。それに陽子たち母子も居て、4日には男性一人が増えて18人の宿泊客となった。家族で参加する人達は銭坪山のふれあいパークに泊まり、その人達を含めると全部で48人。その中で正式にプログラムに名前が載り、演奏を披露するのは31人と講師3人(講師はチェリストの桜庭茂樹氏と石井啓一郎&啓子)。参加者は東京、さいたま、千葉、京都、大津、姫路、相生、福山、高松、宇部、周南から来て、残念ながら岩国市内の人は皆無だった。
ピアノ三重奏曲、四重奏曲、五重奏曲、弦楽四重奏曲、クラリネット五重奏曲、それにヴァイオリンのソロもあった。3日と4日は朝10時から黒磯自治会館にてレッスンが開始された。ほとんどの人が毎年集まってくる人達だが、中には初参加の人もいて、初日は殊に緊張する。個人練習は事前に自宅でしてくるのだが、合わせてみるとなかなかうまくいかないこともある。テンポ感や音色などを徐々に直していく。相手の音楽を感じながら、3人から5人のグループの人達が一つの音楽を創り上げていく。
自分のレッスンが済むと、個人でまた練習したり、林の中を駆け回ったり、暗くなるとかがり火をたいたり、楽しいことはいっぱい。学校の宿題を持ち込んで熱心にノートを並べている子供たちもいた。
食事は横浜から来た岡崎シェフが担当。今年は25キロのかたまり肉をさばいて、その他にも鶏肉やソーセージ、イワシなどもあったのに、それらが全部きれいに食べ尽くされた。直径20センチもある巨大なハンバーガーも見事。キャベツいっぱいの焼きそばも美味しかった。それと啓一郎先生お手製のカレーライス。ごはんは毎日朝8時に豚汁と一緒に藤重貞子さんのグループが届けてくれる。それもごはん3升。巨大な胃袋に今年も改めて感服した。
今年は宏二郎の絵画教室も開かれた。
子供や大人、何人かが参加して、描いた絵29点が5日のコンサート会場のロビーに張り出された。
5日午後2時から由宇文化会館でのコンサートには岩国や由宇の人達が聴きに来てくれた。3時間にも及ぶ長いプログラムだったが、それぞれの演奏に惜しみない拍手を送っていた。大人より子供たちの方が練習の成果が上がっていたと思う。
 

↑このページのトップヘ