6月6日京都、9日宇部と連続した古希のリサイタルが18日東京文化会館での公演で終わった。
京都では日本フィルに関連した二人での、或いはもう一人加わっての演奏会を30年程前からやっていたが、東京と同じプログラムで前後して京都コンサートホールで演奏し始めたのは1997年、私たちの演奏活動20周年の年だった。始めは手伝ってくれていたメンバーも去り、応援してくれていた大病院も体制が変わってゼロになってしまって何年にもなる。今は数少ない実行委員のメンバーが口コミで一生懸命みんなに声をかけてくれて何とか100人余りのお客さんが集まる。宇部は会場が狭い事と昔からの石井啓一郎の仲間達で何とか成り立っている。東京もリサイタルを始めた1977年の頃は石井の父も私の父も現役で、時代も時代だったので企業関係の買い上げも多く、販売に私達はあまり苦労しなかった。しかし今では弟子に預けたチケットが戻されるのも当たり前になり、企業はほぼゼロ、全て口コミで売っている。音楽業界全体でもクラシックの演奏会にチケットを買ってまでして行く人が少なくなっている。足を運んで聴いてくれた人は「明日の元気をもらった!」などと 反応は良いのだが。


今回ブラームスのソナタを2曲弾いた。
中でも2番のソナタは私達の結婚披露宴で演奏した思い入れのある曲だった。これまで人前ではほとんど弾いた事のない二人の内緒の曲で、今回は古希を記念して取り組んだ。1楽章にはAllegro amabile との表示があり、私は今回このamabile にこだわった。
ドレスは結婚披露宴の時に来たドレス。これは私と母の手作りなのだった。母は良い家庭のお嬢様だったので結婚する前には花嫁修行としてお花と裁縫とお料理を習った。私達姉妹が幼い頃はお揃いの夏のワンピースなどよく縫ってくれたものだった。レースの布を買ってきて私と母でデザインを考え、母が縫って、私は下に着るスリップを縫った。1972年、石井は23歳、私はまだ22歳だった。このドレスはその後、陽子が自分の結婚披露宴でも着た。私は今後もうこのドレスを着る事はないと思うが、もしかしたら孫の誰かが着るだろうか?大切にしまっておこう。 

京都2019
京都コンサートホールにて終演後

宇部2019
宇部では超多忙の金子法子先生がいらして下さった



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東京文化会館にて終演後、挨拶に並ぶ長蛇の列

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古いアルバムから。
私達の結婚披露宴でブラームスの2番のソナタを演奏