母は昭和2年(1927年)11月生まれ。今年で98歳になる。
少し血糖値が高いくらいで特別な病気は持っていない。
小さい頃から書道を習っていて、私や妹が生まれてからは徐々に本格的に書の道に進み、仲田幹一先生に出会ったのが1964年。毎日系の先生だったので毎日書道展に出品。そのうちに毎日書道会の幹部や名誉顧問にもなり、文部科学大臣賞を受賞したこともある。
父や自分自身が詠んだ俳句の書も多く、大変な好評を博している。来年は白寿を迎え、銀座のセントラル美術館にて個展を開く予定で、今いろいろ準備を進めている。

私の好きな書のひとつ。自詠の句(第3回個展の作品集より)
今から4年前、急にピアノを練習したいと言い出し、バイエル程度の楽しい曲の譜面を渡したらとても熱心にさらい出した。若い時にピアノも習ってはいたが、子供が生まれてからは一切弾いていなかった。家には母が子供の時に使っていた昭和9年製のヤマハのピアノがあり、私は6歳の時に習い始めて中学3年の時までそのピアノで練習していた。父は銀行マンだったので転勤が多かったが、芸大の付属高校を受けるため東京に戻った時、初めてグランドピアノを買ってもらって以来、そのピアノは使われなくなった。
今、母が住んでいる東京の家にそのピアノは置かれていたが、ヤマハの調律師さんに頼んでも古すぎてまともに調律してもらえず音は狂ったままだった。それがひょんな事から一人の調律師さんに出会い、何とか弾けるようにしてくれた。それから私が東京に出てきた時はそのピアノで練習できるようになった。そんな私の弾くピアノを聞いて、母は自分ももう一度ピアノを弾いてみたいと思うようになったようだった。70年以上も全く弾いていなかったのだから、そう容易く弾けるようにはならないだろうと私は思っていた。しかし、熱心な練習のおかげでバイエルからモーツァルトの幻想曲、ショパンのワルツなどどんどんレベルアップした。もちろん自分が楽しいから弾くだけで上手なわけではない。しかし弾きたい意欲は衰えず、母のために始めた中井ホームコンサートで今年はなんとベートーヴェンの悲愴ソナタを弾いた。練習している時にちょうど来ていたヘルパーさんが、母のあまりの熱演に涙を浮かべて「感激しました。」と言っていた。コンサートは7月13日夕方に開かれた。私の妹はバッハのヴァイオリンと弦楽器のためのコンチェルトを、陽子は少しジャズっぽいメリーさんの羊の夢を、孫達も1曲ずつ披露。母は本番の時緊張したのか、もう少し上手に弾けていたのに途中でだいぶ外したりしたが、長い曲を止まらずに最後まで弾き切った。皆の前で緊張するのも体力のあるゆえんだと私は感心した。
書も書いてはいるが、作品を書くための大きな机は2階にあるので、足取りが不確かになったせいもあってなかなか気軽に2階に行けなくなった。その分、時間がある時はピアノの練習に向かっている。次はショパンのグランドワルツが弾きたいなどと意欲も旺盛。
今の母の生活の中でピアノの占める割合は大きい。
ピアノを直してくれた調律師Nさんに感謝!
母の気力にも感服!!!

ホームコンサートでベートーヴェンの悲愴を弾く
少し血糖値が高いくらいで特別な病気は持っていない。
小さい頃から書道を習っていて、私や妹が生まれてからは徐々に本格的に書の道に進み、仲田幹一先生に出会ったのが1964年。毎日系の先生だったので毎日書道展に出品。そのうちに毎日書道会の幹部や名誉顧問にもなり、文部科学大臣賞を受賞したこともある。
父や自分自身が詠んだ俳句の書も多く、大変な好評を博している。来年は白寿を迎え、銀座のセントラル美術館にて個展を開く予定で、今いろいろ準備を進めている。

私の好きな書のひとつ。自詠の句(第3回個展の作品集より)
今から4年前、急にピアノを練習したいと言い出し、バイエル程度の楽しい曲の譜面を渡したらとても熱心にさらい出した。若い時にピアノも習ってはいたが、子供が生まれてからは一切弾いていなかった。家には母が子供の時に使っていた昭和9年製のヤマハのピアノがあり、私は6歳の時に習い始めて中学3年の時までそのピアノで練習していた。父は銀行マンだったので転勤が多かったが、芸大の付属高校を受けるため東京に戻った時、初めてグランドピアノを買ってもらって以来、そのピアノは使われなくなった。
今、母が住んでいる東京の家にそのピアノは置かれていたが、ヤマハの調律師さんに頼んでも古すぎてまともに調律してもらえず音は狂ったままだった。それがひょんな事から一人の調律師さんに出会い、何とか弾けるようにしてくれた。それから私が東京に出てきた時はそのピアノで練習できるようになった。そんな私の弾くピアノを聞いて、母は自分ももう一度ピアノを弾いてみたいと思うようになったようだった。70年以上も全く弾いていなかったのだから、そう容易く弾けるようにはならないだろうと私は思っていた。しかし、熱心な練習のおかげでバイエルからモーツァルトの幻想曲、ショパンのワルツなどどんどんレベルアップした。もちろん自分が楽しいから弾くだけで上手なわけではない。しかし弾きたい意欲は衰えず、母のために始めた中井ホームコンサートで今年はなんとベートーヴェンの悲愴ソナタを弾いた。練習している時にちょうど来ていたヘルパーさんが、母のあまりの熱演に涙を浮かべて「感激しました。」と言っていた。コンサートは7月13日夕方に開かれた。私の妹はバッハのヴァイオリンと弦楽器のためのコンチェルトを、陽子は少しジャズっぽいメリーさんの羊の夢を、孫達も1曲ずつ披露。母は本番の時緊張したのか、もう少し上手に弾けていたのに途中でだいぶ外したりしたが、長い曲を止まらずに最後まで弾き切った。皆の前で緊張するのも体力のあるゆえんだと私は感心した。
書も書いてはいるが、作品を書くための大きな机は2階にあるので、足取りが不確かになったせいもあってなかなか気軽に2階に行けなくなった。その分、時間がある時はピアノの練習に向かっている。次はショパンのグランドワルツが弾きたいなどと意欲も旺盛。
今の母の生活の中でピアノの占める割合は大きい。
ピアノを直してくれた調律師Nさんに感謝!
母の気力にも感服!!!

ホームコンサートでベートーヴェンの悲愴を弾く





















