カテゴリ: 宏樹庵便り

お雛様を飾った。
戦中、岩国に疎開していた叔母達が横浜に戻る時までに、祖父が叔母達のために買っておいてくれたそうで、祖父は戦後の闇市で手に入れたと言う。

祖父は子供のいなかった米本家に取り子取り嫁で養子に入ったのだが、勤め先(住友銀行)の関係で岩国には住まずすっと東京、横浜で暮らしていた。父は大正9年に生まれた。その後5人の兄弟姉妹が生まれ、、叔母は祖母に連れられて時々岩国に帰ったりはしたそうだが、ずっと東京近郊育ちだった。戦争が始まると祖母と二人の叔母と一人の叔父は岩国に疎開し、昭和23年までこちらにいた。
父は海軍で呉からパラオ方面に出兵した。岩国の家の近所の人たちが寄せ書きをしてくれた日本の旗を肌身離さず、戦地で戦った。と言っても父は主計局だったので実際に鉄砲を持ってアメリカ兵とやり合ったわけではないようだが、ほとんどの戦友が戦死した中、奇跡的に助かって帰国した。
東京に残された家族は家や財産をすべて焼かれ命からがら横浜に居を構えた。帰国した父は昭和23年に母と結婚し、翌年24年に私が生まれ、3歳までその横浜の家で、叔母達がいる大家族に囲まれて過ごした。中学生だった叔母は私を殊のほか可愛がってくれた。季節になれば祖父が買ったお雛様も飾られていたに違いないと思うが、残念ながら私の記憶にはない。

祖父母の晩年は私の両親が東京の家に引き取り、横浜の家を片付けた時にそのお雛様は大切に東京の家に持って来られた。しかしずっと押入れの奥にしまったままだった。私が岩国に住むようになって、そういえば古いお雛様があるという話になって、そのお雛様は岩国に引っ越してきた。
戦争のため、止むに止まれず手放した大切なお雛様だったのだろう。とても古い物で、造りも、刀はちゃんと鞘から抜けてピカピカな刃があるなど、大変精巧に出来ている。お顔の表情も豊かで、誰一人同じではない。

宏樹庵のお雛様となった。

宏樹庵の元になった家を建てた私の曽祖父、米本靖は昭和7年に灘村村議会全会一致で村長に選ばれ、4年間在任した。その間、東洋紡績株式会社を誘致し、海面を埋め立て、湾岸整備、道路の新設、中洋小学校の設立など、産業、教育、交通、運輸など各方面で著しい発展に寄与した。
惜しくも戦前に亡くなり、曾祖母だけが戦後まで残って一人でこの家を守っていた。曾祖母が亡くなった後、親戚の者がここを守ってくれていたが、それも叶わなくなり、しばらく空き家だったところを私たち二人が見に来た。石井は竹やぶを通って入る道が一目で好きになり、すぐにここに住もうと決めた。でもその頃はまだ日本フィルで演奏に、運営に忙しかったので岩国にすぐ住むことは出来なかった。でもすぐに改築しないと使い物にならないと建築士さんが言った。そこで1999年平成11年に出来上がったのが宏樹庵だ。
しばらく住む人のいなかった家に私が帰ってきて近所の人たちは喜んだ。近所の人たちは皆、私の曾祖母の事をよく知っていて、叔母とも庭でまりつきをして一緒に遊んだという人もいた。

そこに引っ越してきたお雛様。今後もどうぞよろしく見守って下さいますように。

おひなさま

お内裏様


1月26日、先日演奏会をした本郷町の学校から感想文集が届いた。
表紙には私たちの演奏している写真も印刷してあり、中にもところどころ写真が挟まっていて、生徒たちが可愛いイラストの入った便箋のような紙にそれぞれ一枚ずつ、思い思いに書き込んだ文集だった。


先日演奏会が終わった後で校長先生がおっしゃっていたことが気になっていた。
「この学校は生徒数が少ないので先生が子供たちに手をかけすぎてしまいがちです。先生としては子供たちにもっと美しく、もっときちんとしたものを、とどうしても思ってしまい、それができてしまうのです。でも、そうすると本来子供たちが持っているものがそがれてしまうかもしれない。」
本郷小学校が30年前から続けている山村留学の受け入れで、毎年出している作文集がある。以前それを読んだことがある。習字も先生が丁寧に教えているらしく、みんなとても上手な字で立派に書いていた。こんな風に教えてもらえたらいいだろうなとその時は思った。
でもはちゃめちゃな所もあるのが子供だ。

今日届いた感想文は一人一人が短い文なので、先生の手は入っていないのだろう。感じたことが直接伝わって来た。
小学3年生 美しいメロディーでかなしみやよろこびやかげきさがしみじみとつたわりました。兄がバイオリンをやっているので聞かせたかったです。また来て下さったら山口の七つのみんようを聞かせてください。
小学4年生 私が一番心に残ったのはソナタです。ピアノとバイオリンがどちらもしゅやくでとても力強く、すごかったです。
小学4年生 バイオリンを聞いて、とてもねむたくなりました。とてもきれいな音につつみこまれるようでした。
小学4年生 ヴァイオリンはいろんな音が出て、強弱がはっきりでていてすごかったです。ピアノはとても速く、二人の息があっていてすごいなーと思いました。
小学4年生 私はピアノを習っていますが啓子さんみたいにうまくありません。バイオリンは習っていませんが見たことはあります。でもあんなひき方があるなんて思いませんでした。
小学4年生 わたしは一気に音がfになる所と、豊かでやさしいメロディーの所が心に残りました。バイオリンはいろんなね色が出ることを初めて知りました。
小学5年生 私はG線上のアリアという曲が好きです。私は音楽が好きで、名前にも音という字があります。ピアノの美しい音、ヴァイオリンのすばらしい音、すべてが感動しました。私も音楽にかんするお仕事をしてみたいです。
小学6年生 生演奏を初めて聴いて私は感激しました。最初にきいた曲は放送室にCDがあるので、後日流したいと思います。ピアノの方も演奏がとても上手くて、私もいつかそんな風に上手くなれたらいいです。
6年担任 バイオリンのつくりや弾き方等、知る機会がないので新しく知ることばかりでした。G線上のアリアは好きな曲でしたが、ますます好きになりました。子供たちと色々な曲を聴いてみたいと思います。
中学1年生 バイオリンは弦を押して弾くだけだと思っていました。でも今日の演奏を見て弦は手ではじいてでも弾けることが分かりました。ピアノは速いリズムをひくのがすごいと思いました。しかも楽譜の音符がすごくておどろきました。
中学2年生 聞きながら、バイオリンの良さ、奥深さを感じさせていただきました。激しくゆれるような曲から、ゆるやかで流れるような曲まで、どれも心に残るものとなりました。
中学3年生 僕は生演奏を聴くのは初めてです。CDを流すのと違い、本物は空間にも心にも響きました。普段から全く縁のないバイオリンが少し近くなってきたように感じました。
中学3年生 最近少しヴァイオリンに興味があったので、間近で聞くことができとてもうれしく思いました。ピアノ演奏もとてもすばらしい音色で気持ちよく聞き入ってしまいました。手足が冷たいなかとてもなめらかに弾いていらしているのを拝見してプロはすごいなと思いました。

そして皆一様にまた聞きたいと言ってくれました。
ありがとう!
本郷町感想文集

ミュージックキャンプの募集を始めた。
例年は2月に入ってから募集するのだが、今年のゴールデンウイークは10連休になるので皆の予定も早く決めた方が良いと思い、まだ1月なのだが募集を始めた。

1999年に宏樹庵が出来て、翌2000年にここで室内楽の講習会を始めてみようと思い立った。
場所は県の施設の由宇町銭坪山山頂にあるふれあいパーク。大変眺めの良い所で宿泊もでき、ホールもある。ピアノ三重奏や弦楽四重奏などのグループを作り、2日間レッスンをして3日目にその演奏を披露する。新聞で募集し、萩の友人や秀太郎のジュニアオケ時代の友人にも声をかけた。集まったのは15人。ふちだ楽器店にグランドピアノをふれあいパークに運んでもらい、ふれあいパークの音楽室のピアノと合わせて2台でそれぞれが練習し、イベントホールでレッスンをした。教師である石井と私が2日間自宅から通い、参加者はふれあいパークに泊まって、レッスン以外の空き時間には卓球をやったり、萩焼に挑戦したり、散歩をしたりして楽しんでいた。ふれあいパークでバーベキューをした事もあった。
毎年続いたが、2011年、どこかの吹奏楽の合宿と重なってホールが使えなくなってしまった。別の場所を参加者の人もいろいろ探してくれて、結局、由宇文化会館に決定。それが、来るお客さんにとっても山の上まで上がるよりは良いと評判で、その後もここに定着する。そうなると、家族参加を除いては、宿泊は宏樹庵になり、レッスンも黒磯自治会館を使うことになった。参加する人は空き時間には宏樹庵の庭でバトミントンをしたり、走り回ったり、池に落ちたり・・・夜は皆で盃を酌み交わし、話題も多岐に渡る。次第に子供たちは成長し、2基の篝火の材料は自分たちで鉈や鋸を使って用意し、炎の高く上がる火遊びに、誰一人やけどをしたこともなく、大人たちは黙ってそれを見ている。遊びに興じているばかりではなく、2日間のレッスンの後の演奏会では驚くほど上手になって、500円の入場料では安い程の演奏をする。

2012年からはチェロの桜庭氏が教師として来てくれるようになった。
その年の彼は、身体の不調でしばらく演奏から遠ざかっていたにもかかわらず、見事に復活して感動的な演奏で皆を圧倒した。

今では参加希望者が多すぎて、募集と言っても口コミのみ。
20回目となる今年はさて、何人がどんな曲を演奏してくれるだろうか。緊張と楽しみな気持ちが相まってこれからを待つ。

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自治会館でのレッスン風景
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夜の宏樹庵
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弦楽合奏もプログラムに入る。由宇文化会館での当日会場練習。



1月19日の朝、清流新岩国から電車に乗った。
かねてから依頼のあった本郷町にある中学校と小学校複合学校での演奏会。
このきっかけとなったのは4月23日の中国新聞の記事。「教育」というコラムで石井は音楽はミサイルや戦車のように強くはないが、何か大きな力がある。それを信じて里山や離島など普段はなかなか生の音楽に接することができない地域にも音楽を届けたいと述べた。それを読んだ学校の先生から即座にうちに電話がかかってきた。うちの学校でも演奏してもらえないだろうかと。小さな里山の学校。石井はすぐに行くことにした。日にちは来年の1月19日と言う。ずいぶん先の話だと思ったが、何か一年の行事があるらしかった。
秋が終わる頃、改めて学校から電話があった。暮から具体的にプログラムの事など取り決めて、何回か打ち合わせがあり、前日にも電話があった。期待感があふれる様子だった。

河山という駅で電車を降りると教頭先生が待っていた。そこから車で20分ほど。
もともとはここには代官所があり街道筋だった本郷町も今は人口減少で、子供も少ない。小学1年生は今年はゼロだったそうだ。隣り合わせの中学校と小学校の子供たち合わせても30人くらい。ここではかなり昔から県外の子供たちを寮で預かって勉強させる取り組みが有名で、良い評価を得ている。その子供たちを加えて、この数だ。今から33,4年前に建った学校の建物は人数の割りに立派だった。

10時半から15分の休憩をはさんで12時までの演奏会。プログラムは愛の挨拶に始まってフランクのソナタ、外山雄三の七つの山口民謡より2曲。サラサーテのサパテアード、チゴイネルワイゼンなど。
とても熱心に聴いてくれた。
ヴァイオリンてこんなにいろいろな音が出せるんだと初めて思ったようだった。弓の毛が落ちたのを拾って大事そうにポケットに入れる男の子もいた。
それぞれの子供たちの心に何かいつまでも残るものがあったらうれしい。

晴れて山の空気が美味しかった。

清流新岩国駅
画像が悪くて見えにくいが、清流線の各駅には毛筆で書かれた駅名がかけられている。
かなり力のある書道家が書いたように思える。

今日はこれで
電車が来ました。8時46分新岩国発。これを逃すと10時過ぎまで電車は来ません。

本郷小での演奏会
演奏会には子供たちのほかに先生や地域の方たちも参加。



1月8日、大竹から高速に乗って東へ。晴れてはいるが暖かいせいか山々は少し霞んでいる。河内で降りて竹原を目指す。竹原港へ着いたらフェリーがちょうど出航するところだった。時間を調べて行ったわけではないのだがタイミングがすこぶる良かった。フェリーは25分ほどで大崎上島の垂水港に着岸した。ぐるっと島をめぐって愛媛県境側の海岸に建つ清風館へ。ここへは3年前にも来ていてお気に入りのホテル。1月4日までは満室だったそうだがこの日は空いていてお風呂もほぼ独占状態だった。この辺りは瀬戸内海のうちでも最も島が多く点在している所で、山が幾重にも重なって見えるように島々が見える。そのいくつかの島には、しまなみ海道のように本州から橋がかけられて車で行き来できるのに、何故かこの大崎上島だけは橋がなく、フェリーでしか行けない。この島に住み、この島が大好きと言うホテルの接客係の女の子に聞くと、橋をかけないのは国や県の補助を受けるためかもしれないとの事。7500人余りが住むこの島で働く人は主に造船業に携わっているか、みかんやブルーベリーなどの農業をやって生計を立てているものと思われる。将来に向けて広がりの無い収入を考えると補助という選択肢も馬鹿にできないのかもしれない。最近、この島に中高一貫教育で英語を重視した全寮制の学校が出来た。募集したら定員40名のところ5倍の申し込みがあったそうだ。この春開校と聞く。どんな生徒たちがどんな先生にどんな授業を受けるのか興味がある。
ホテルのすぐ下に海水浴場があり、今は誰もいなかったが水がとてもきれいだった。大きな船や小さな漁船が行き交う。ホテルの窓から見える島々は全て愛媛県で、この海が広島県と愛媛県の境になっている。窓の右の、この上島の地続きの山に陽が沈んだ。次第に島々は黒い影となり、いつまでも明るい海もやがて夜の帳の中に消えた。

翌朝6時55分頃から東の空が赤く染まり、次第に明るさを増し、7時28分頃ようやく真ん丸な太陽が顔を見せた。陽の昇ってくる音が聴こえそうな位の静寂の中の動き。一日の始まり。
朝日の差し込む露天風呂の湯気は風にあおられてくるくると舞っていた。

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竹原港からフェリーで。
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重なる島々
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ホテルの窓から。見えるのは愛媛県の島々。遠く四国は今日は霞んでいる。
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大きな船や小さな漁船が行き交う。
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ホテルの下の海水浴場
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水は大変きれいだった
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海水浴場から見上げたホテル
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窓の右の山に陽が沈んだ。

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翌朝の7時少し前
これから陽が昇って来る。
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一日の始まり。













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