カテゴリ: 宏樹庵便り

ブリュッセルに住んでいるエミールから1月18日に突然メールが来た。
「ガブリエルが東京にいます。」

エミールの家族とはドイツ留学時代に石井がエリザベートコンクールを受けにブリュッセルに行って以来40年以上の付き合い。彼の家がコンクール滞在中のホストハウスだった。なんだかすごく気に入ってくれて、日本に帰る前には秀太郎も連れてブリュッセルに行き、その頃ガブリエルは6歳位のやんちゃな男の子だった。
彼は成人してブリュッセルの有名な歌劇場のオーケストラの打楽器奏者となり、そのオーケストラの日本公演の折には会い、東京の我々の家にも来た。何年か前に結婚してジャカルタ在住になって、エミールは海で遊ぶ家族の写真を送ってくれた。しかし最近はクリスマスカードも来なくなっていた。
それが突然「今、東京にいる」とは‼︎
きっと私達が住んでいる山口県が東京から1000キロも離れているとは想像が出来なかったのだろう。

それが偶然私は19日に上京する予定になっていた。それで会えるかもしれないとメッセージを送った。 
それならFBのメッセンジャーで連絡を取り合おうと言う事になった。午後なら何時でも私の都合に合わせられると言うので3時にホテルでとのメッセージを送った。。そこまでは突然だった にもかかわらず順調に事が運んだ。ところが19日朝家を出て私のipadを開いてみるとどうやっても電源が入らない。最近ちょっと調子が悪かったので  遂に故障かと諦めた。しかし連絡の取りようがない。彼の電話番号はメールに書いてあったがメモしてなかったのでipadが開けない限り解らない。仕方なくホテルに電話して伝言を頼んだ。3時にホテルに行くと言う事と私の携帯番号も。しかしその時はすでに彼は外出していた。
3時にホテルに帰って来れるのか心配だったが、私は昨夜のメッセージが彼に届いている事を信じて3 時ホテルに行った。ところが彼はいない。待つこと20分。朝、私の伝言を受けてくれたフロントの女性が 心配してロビーにあるパソコンでfbを開いてくれた。そうしたら何と3時ではなくて4時にしてくれとのメッセージが入っているではないか!なあんだと思って ロビーで4時まで待った。

彼は4時過ぎに現れた‼︎ 随分久し振りなのにすぐわかった。
彼は今回はインドネシアの要請で 日本の高校生と中学生にフランス語を教えに来たそうだ。1週間滞在するとの事。秀太郎達のことやエミールの事など何やかや話して5時頃別れた。夜は歌舞伎を観ると言っていた。
会えて良かった❣️
奇跡のようだった。 

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1月14日(土)午後2時より佐賀市立東与賀文化ホールにてニューイヤーコンサート”ヴァイオリンの名曲を集めて”と題された石井啓一郎と啓子の演奏会が開催された。
九州には 度々二人で行き、演奏活動20周年の折にはまとめて8か所も回っているのに、佐賀での二人の演奏会は初めてだった。中心になって動いてくれたのは佐賀日本フィルの会事務局長の中野さん。集客力がどうかと心配していたが、インフルエンザや大雪のため急に来れなくなった人が何人もいると言いながら蓋を開けてみると350人ほどのお客様がホールをいっぱいに埋めていた。譜めくりや影アナを担当してくれた人は長崎の人で、長崎は大雪だったそうだ。福岡や久留米、唐津から駆けつけて下さった方もいた。ある人は私たちの演奏を聴いたのは武雄での演奏会以来20年ぶりと大変感激してくれた。
パガニーニのカンタービレとワルツ、ベートーヴェンのクロイツェルソナタが前半、後半は皆が知っているような小品の数々。ピアノの音がきれいだったとの評もあった。子供もいたのにとても静かで、中野さん達も「すごく集中して聴いていましたね!」とびっくりしていた。石井のトークにもよく反応し、笑い声もあって和やかな雰囲気だった。

翌日15日午後6時半からは唐津の光孝寺にてコンサート。ここでも好評で、来年はもう少し大きなところでもう一度という声も。

来年は私たち二人70歳になるので少し頑張って全国各地で演奏会を開こうと思っている。大掛かりな演奏会ではなくて顔の見える会がいいとも思っているので、是非来てくださいという方はお声をお寄せください。

佐賀ニューイヤーコンサート

2017年暮も押し迫っての12月26日(火)東京文化会館にて石井啓子アンサンブルシリーズⅩⅩⅧが開催された。

1987年にこのシリーズを始めて以来ずっと日本フィルのメンバーと共演してきたが25回、四半世紀を終えて、思い切ってそれを解消し、桜庭茂樹氏と石突美奈さんに共演をお願いした。2014年のその会は杉並公会堂であまり宣伝もせずにやってみて、でもうれしいことに続けて出来そうなので翌年からは東京文化会館でナンバーもⅩⅩⅥとして開催した。
ベートーヴェンは音楽家でありながら耳が聞こえなくなり遺書を書いた。しかし音楽への情熱はその苦難を乗り越えて、その後次々と傑作を生みだす。私はどうしてもその事と桜庭氏の事とを重ねて考えてしまう。一時本当に演奏が困難だった時代から抜け出せたのは彼の音楽に対する強い願望だと思う。今は素晴らしいチェリストとして私の良き共演者として演奏してくれている。彼に出会えて私は幸せだった。今回の演奏会でもつくづくそう思った。
プログラムの最初はベームの2本のフルートとピアノのための小品。陽子と石井と私の親子で演奏してほっこりした後、陽子と私でディリアスのソナタ2番。これはヴァイオリンの曲なので息継ぎなど曲の作り方はフルーティストにとって難しかったと思うが、陽子は暗譜で陽子ワールドを繰り広げ、美しかった。そしてベートーヴェンのピアノ三重奏曲作品70-1。石突美奈さんと桜庭氏と私。ベートーヴェンの斬新な曲想が光る。休憩後、ショスタコーヴィチの珍しい映画音楽などを集めたヴァイオリン2本とピアノの小品。石突美奈さんと石井と私。石突美奈さんの麗しい歌い方がお客を引き付けた。最後は名曲中の名曲、メンデルスゾーンのピアノ三重奏曲1番を石井と桜庭氏と私で。この曲は何度か弾いたことがあるが、このたびは新しい発見がいくつもあった。冒頭のチェロの歌い方は桜庭氏ならではの音楽だった。音楽にとても厳しいある人が数日後に寄せてくれた感想では私のアンサンブル感覚に脱帽との事だった。
慌ただしい年末にもかかわらず360人余りの方々が集まってくださってうれしかった。

次のコンサートに向けてまた人生丸ごと精進あるのみ!
演奏会の終わった後、お正月まで東京で過ごし、3日に岩国に帰った。

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演奏終了後、ロビーにて。

それは急な話だった。でも行って良かった。


錦帯橋芸術祭。岩国市が主催する9月から11月にかけての芸術祭の一環として11月10日から12日まで錦帯橋に沿って錦川の川面と錦川の両岸に篝火を焚き、界隈の美術館もナイトミュージアムと称して開館延長し、様々な場所で様々な催し物が開催される。市が主催といっても予算がないので民間の志のある人たちが祭りを盛り上げている。石井に頼みに来たのは、いろやギャラリーと言う錦帯橋の近くにガラス工芸品その他細々とした細工物を置いている店の主人だが、若くて行動力のある彼女は岩国に帰ってきて様々なイベントを成功させている。幸明館の落成式の折、五橋の酒井さんが紹介して下さって以来のご縁なのだが、ピアノが無いのでヴァイオリン1本でトークと演奏の30分の会という事だった。
岩国には城があり、吉川という殿様が藩を治めていた。この殿様は争いを好まず、重要なところではいろいろと水面下のやり取りでうまく調整し、それが功を成していた。教育にも熱心で、岩国から日本を代表する人材が何人も輩出されている。そんな熟成した文化を本来持っている岩国なのだが何とも皆おとなしい。吉川家の藩政のDNAが岩国人の根っこに受け継がれているのかもしれないが・・・。 米軍の基地が拡張され何千人もの米兵が来て、その住宅を整備し、軍用機が何機も配備され騒音が倍増されてもあまり文句は言わない。これから益々国の防衛予算からのお金が岩国の財政に占める割合が高くなり依存性が高まる。広島の原爆はここで皆見ている。私の叔母たちは疎開でここに来ていて年上の叔母は大竹の工場で働いていた。原爆の落とされた日、やっとの思いで家に帰り着いた。戦争は絶対反対だが、政府のアメリカ寄りの政策には表立って反対は言わない。
宏樹庵が出来たのは1999年。石井が日本フィルを定年退職してここに居を定めたのは2012年。
吉川の殿様とのつながりも出来て少しずつ岩国の文化の歴史の厚みを感じているこの頃だったので、何とか岩国の文化をこれから先の世代も引っ張って高めていこうと、急な話に乗った。

石井の夢は拡がる。
錦川に舟を浮かべてそこでオーケストラの饗演をやろう。その合図は山の頂上の城での金管楽器のファンファーレ!!

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川面の篝火も薪を使い、浅瀬や舟から継ぎ木をしていた。一番手前の篝火の継ぎ木をしている人影が見える。
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狭いいろやの店内は満員のお客様。壁には宏二郎のろうそくの絵が。
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聴きに駆けつけて下さった吉川のお殿様。錦帯橋をかけた殿様の直系。32代目の当主。
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2次会を終えて階下に行くと偶然にも彫刻家の澄川喜一氏とばったり会う。ここで講演会があったそうだ。
同じ東京芸術大学出身で(澄川氏は元東京芸大の学長)彼は自身の彫刻の原点を錦帯橋と言っている。
一緒に岩国の文化向上に貢献しようと握手。写真左から五橋の酒井氏、吉川の殿様、澄川氏、石井。
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10月8日(日)午後2時より宇部市の渡辺翁記念会館にて宇部興産グループチャリティーコンサート、日本フィル宇部公演が開催された。

宇部の町で起業し発展してきた宇部興産。その創業者、渡辺祐策氏が経営の基礎とした、企業とそれを取り巻くあらゆる人々が共生し、栄えることという信念を会社は今でも持ち続け、2008年に始まった日本フィル宇部公演。今回はちょうど10回目の節目を迎えた。宇部の町には音楽のDNAが入り込んでいる。それは渡辺翁記念会館という今年築80年を迎える素晴らしいホールが戦後も残ったことと、そこを拠点として終戦直後から世界的に著名な演奏家を次々と招聘し演奏会を開いてきた宇部好楽協会の俵田寛夫氏がいたこととが大きく関与している。この日本フィル宇部公演はチャリティとして本公演だけでなく、山大付属病院や中央病院でのロビーコンサート、市内の中学校を対象とした音楽クリニック、また入場料は地域の音楽文化向上のため全額寄付され、その一部は市内の吹奏楽部の楽器贈呈にもつながっている。そういう風に企業と地域が音楽で結びついている所は他にあまり例がない。
今回は指揮に藤岡幸夫、ソリストに上原彩子を迎えてラフマニノフピアノ協奏曲第2番とチャイコフスキーの交響曲第5番が演奏された。華麗なピアノの音とチャイコフスキーの壮大で表情豊かなオーケストラの響きが空席の一つもない会場に満ち、聴衆を圧倒した。
日本フィルを退職した後もこの公演だけは一緒に演奏していた石井は今回、いろいろな事情で舞台には上がらなかったが、終演後の打ち上げでは挨拶もし、宇部市民オーケストラのメンバーも入った8重奏+コントラバスで青い山脈と故郷を披露、みんなは大いに楽しんだ。

日本フィル宇部公演会場
渡辺翁記念会館。村野藤吾の建築による重厚な感じのホール。
1350程の座席は今回だいぶ前から完売していた。
日本フィル宇部公演2017
演奏を前に指揮者藤岡幸夫氏のトーク
日本フィル宇部公演2017打ち上げ
打ち上げの席で。
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常盤湖畔には秋桜が美しく揺れていた。




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