カテゴリ: 宏樹庵便り

11月2日岩国西ロータリークラブが企画している「癌予防の講演と演奏会」のため周東中学校に行った。
午後1時35分から30分ロータリーの会員で息子さんを肺癌で亡くされたK氏が講演し、引き続いて2時15分からヴァイオリンとピアノの演奏が始まる。生徒数は320名余り。女子の制服はセーラー服だった。きちんと座って静かに聴いてくれた。石井のトークにもおとなしいが反応して、ちゃんと聞いているのが感じられた。プログラムは先日のウクライナ支援チャリティコンサートで演奏した小品7曲とアンコールにはカナリア。
この企画は2016年に西岩国ロータリークラブが提案し、初年度は岩国中学校と麻里布中学校、2017年は東中学校と川下中学校、2018年平田中学校と灘中学校、2019年玖珂中学校と続き、大変好評で新聞にも取り上げられて本郷中学校の校長先生からうちでもやってもらえないかと電話がかかり、そこへも行ったりした。しかしコロナの蔓延でやむを得ず中断、今回は久しぶりの再開となった。
榎本校長先生はヴァイオリンの生の演奏を聴くのは初めてとおっしゃっていた。生徒の中にも聴いたことのある子は少なかったのではと思われる。サラサーテの曲が多かったのでヴァイオリンの色々な奏法が出てきて「ヴァイオリンてあんな音も出るんだ!」とびっくりしたようだった。
生徒の7割が自分のスマホを持っていると言う。
学校への持ち込みは禁止されているが、家でのスマホ時間は相当長いのだろう。中には中毒になりかかる子もいて校長先生は心配している。でも、学校内での生活は今とても落ち着いていて以前のような問題児がいなくなったとの事。お利口さんばかりではつまらないが、活力のある子供たちに育ってほしい。
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9月17日(土)からミュージックキャンプ宇部は始まった。
参加者は宇部市から15人、山口市から10人、山陽小野田市から1人、下関市1人、周南市1人、防府市1人、岩国市1人、広島市1人、東京近郊4人の計35人。
俵田寛夫氏の見守るいつもの俵田邸応接室と、今回は2階の洋間もレッスン室として使わせていただいた。講師は桜庭茂樹先生と石井啓一郎、石井啓子。ピアノ三重奏曲などピアノが入っているグループは7組。弦だけのグループは8組。一日目石井啓一郎が担当したグループは二日目は桜庭先生の指導になるよう二手に分けてスケジュールを組んだ。
1日目のレッスンが終了した頃、台風の問題でスタッフ達は頭を突き合わせて協議していた。
910hPaという今まで聞いたことがないような数字の超大型台風が18日夜から19日にかけて宇部を直撃するという予報。危険を冒してまでも演奏会を開催していいものかどうか。予報はあくまでも予報であって、実際にはどうなるか分からない。何度もスマホの台風情報を確認する。どうやらかなりの確率で宇部のほぼ真上を台風が通る。超大型の台風だ。看板が飛び、トラックも横転するくらいの台風と言っている。急遽、演奏会は中止ということになった。
でもレッスンは18日夕方までは実施。ただ東京組のレッスンは午前中にすべて終えるようにスケジュールを組みなおし、彼らはお昼過ぎの新幹線で帰っていった。桜庭先生のレッスンも18時ぎりぎりまではやって、やはり新幹線で東京へ。慌ただしかった。
それぞれのグループは1日目より2日目の方がだいぶ成長した。演奏会が開催できないのは大変残念だった。

18日の夜は久しぶりに台風らしい台風で、風も雨も相当なものだった。宿泊していたユースホステルでは翌朝起きてみると、食堂の窓ガラスは割れ、雨漏りと隙間から吹き込んだ雨で床がびしょ濡れだった。午前中、拭き掃除に追われた。
演奏会がなくなったので19日は予定は他には何もなかった。テレビでは今台風は山口県に最接近しているので最大級の警戒をお願いしますと言っていた。しかし昨夜の暴風雨はもう通り過ぎてしまったかのように静かになっていた。ただ、山陽道も一般道も通行止めになっていたので岩国に帰ることは出来なかった。一日ユースホステルでのんびり練習して翌20日に岩国に帰った。テレビの雨雲レーダーなどの画面では岩国の方が雨がだいぶ降っていたような様子だった。錦川や小瀬川流域では、錦帯橋の橋げたの一部が流されたり、家屋が浸水したりの被害があったようだが、我が家の周りではほとんど台風の爪痕は見られなかった。

昨年はコロナの蔓延防止条例のため、今年は台風のため、予定されていた演奏会は2年連続でできなくなってしまったが、受講生達はいつも意欲的で、プログラムにも大曲が並ぶ。
来年は出来ますように。


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俵田邸応接室でのレッスン風景

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幻になったプログラム






9月10日(土)午後2時より岩国国際観光ホテルのロイヤルホールにてウクライナ支援チャリティコンサートが催された。
主催は岩国健人会議が立ち上げた実行委員会。健人会議というのは岩国在住で、古希を過ぎ、心身ともに健康でなお現役で地域社会に貢献しているシニアリーダーのグループ。ロータリー関係の人が多い。彼らが何とかウクライナを支援したいとこの企画を練った。
7月から本格的に取り組み始め、3000円のチケット500枚はほぼ完売。当日集まった人も400人近く、会場はあふれるほどの人、人だった。
クラシックには馴染みがない人も多いとのことで、プログラムは小品ばかり。
エルガー 愛の挨拶、ウクライナの歌 黒い瞳、サラサーテ アンダルシアのロマンス、サラサーテ バスク奇想曲、休憩を挟んで、エルガー 朝の歌、ウクライナ支援曲 ひまわりの想い、サラサーテ ハバネラ、外山雄三編曲 浜辺の歌、ウクライナの歌 鶴、サラサーテ チゴイネルワイゼン。
ウクライナの曲は今回初めて演奏したが、特に鶴はみんなの心にしみわたったようだった。ウクライナの詩人が作詞した曲で、ウクライナの兵士たちが戦いに倒れて、鶴になって大空へ羽ばたいていくという詩。解説したので、みんなそれぞれが、戦争を思い、亡くなった兵士を思いながら聴いてくれたようだった。この曲はロシア歌曲集には載っていなかった。私の芸大時代の声楽家の友人に問い合わせてみたら、彼の手書きの楽譜を送ってくれた。ロシアの色々な事情のため、出版はできないとの事だった。演奏出来て本当に良かった。
日本は平和で、こうやって午後のひとときを音楽に身をゆだねていられるが、こうした間にもウクライナでは何人もの人が亡くなり、町はがれきと化していっている。
ウクライナはロシアに隣接しているが、独自の文化を持っており、ハイフェッツ、リヒテル、ホロヴィッツ、オイストラフなどなど、近年世界的に活躍したウクライナ出身の演奏家は驚くほど多い。
ロシアの侵攻が始まってはや7か月が過ぎる。今後どうなっていくのか。戦争が終わっても復興への歩みはいろいろな意味で厳しい。
寄り添って歩みたいとの念を改めて強く感じた一日だった。


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あふれるほどのお客様でした

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5月27日結婚50周年を迎えた。
畑の野菜をたっぷり使ってお料理を作り二人でお祝いした。

大学4年の時に、卒業したら啓一郎さんと結婚したいと両親に話したら猛反対された。まだ若いし、この先どう花が開くのか全く分からない芸術家と一緒になっても捨てられるだけと言われた。私が切羽詰まった顔をしていたのだろう。とうとう啓一郎さんのお父さんが私の両親に、啓一郎はどういう人物なのか、いくつもの箇条書きを添えて話しに来てくれた。それでようやく両親も納得して、1972年、大学を卒業してすぐの5月27日、大手町にあった古いが格調の高い銀行協会の会館で式を挙げた。私は大学院にも行ったので、結婚生活が始まっても啓一郎さんの千葉の実家から毎日学校に通っていた。そのころ、啓一郎さんの両親はもちろん、おばあちゃんやお姉さんも一緒に住んでいた。もちろん私たち二人の食事は私が作るのだが、啓一郎さんはフジテレビとの闘争が始まった日本フィルに入団してしまったので忙しかった。せっかく夕食を作って待っているのに、今日は帰れないと急に連絡があり無駄になって悲しい思いをした事もたびたびあった。
そして、私が大学院を卒業してから二人でミュンヘンに留学した。
そこで子供を授かる。調べてもらって陽性だと言われたのはバイエルンの旗のように真っ青な空の日だった。
ミュンヘンの下宿は、ミュンヘン到着後、新聞に載っていたいくつかの候補のうち最初に電話をかけて見に行ったところだった。住まいは小さな3階建てのマンション(4軒と最上階はオーナーの住まい)で、庭に広い別棟がありグランドピアノが2台置いてあった。好きなように練習ができ、留学生の中では最も恵まれた環境だった。オーナーのご婦人は私の父くらいの年齢で、子供、秀太郎が生まれても、まるで孫ができたように可愛がってくれた。その後、彼女は私たちのミュンヘン滞在中、日本に遊びに行き私の両親と会い、また、私たちが帰国した後も、秀太郎が成人してから一緒に会いに行ったこともある。
日本フィルの地方公演のおかげで、私たち二人も日本各地で演奏会を行うことができた。ミュンヘンから帰国後、次男や女の子も生まれて、演奏活動を続けながらの子育ては忙しかった。
そうして、後に子供たちは楽器製作者、画家、フルーティストとなり、それぞれ良縁を得てみんな仲良く暮らしている。
結婚50年の年月は決して早いとは感じない。70歳を過ぎても時間が早く流れるとは思わない。時は地道に刻々と流れている。いまだに仲良く二人で生活し、演奏もできていることに心より感謝している。


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はまちと鯛のお刺身、さわらの塩焼き。貝汁。そら豆は畑の初物、煮物の竹の子も人参もうちのもの。サラダももちろん畑のもの。

母はコロナが流行る少し前から腰痛がひどくなり、車での遠出はできなくなっていた。そこにコロナが来て、よく通っていたお医者さんも止めて訪問診療にしてもらい、処方されるお薬も届けてもらうようになって、家から一歩も外へ出ることはなくなってしまった。頭がふらふらすると言ってよく家の中でころんでいた。昨夏は特に体調が悪くなって、電話をかけても全然話が通じず、言葉もはっきり言えなくなって慌てて私は上京し様子を見た。93歳、もう先は長くはないのかと心配した。身体の芯が冷えると言って冷房も適切にはかけていなかったので熱中症の一種だったのかもしれない。涼しくなってきてから徐々に快復し、ピアノを弾くようになってからは腰の痛いのを忘れる程になった。昨年11月で94歳。本業である書も書いてはいるが、ピアノを弾くのが楽しいらしい。一日のうち何回もピアノに向かっている。------------
そこで、元気なうちに温泉に連れて行ってあげようと私は思い立った。
陽子のところには大きな車があり、秀一君は運転が上手。一緒に行ってくれないかと相談したところ快諾。母にも恐る恐る旅行の話を持ち掛けたら、はじめはえーっ!と言ったが、まんざら嫌でもなさそうだった。もう何年も出かけたことがないので遠くへは行けない。陽子があれこれ宿を探してくれた。紆余曲折があり、やっと決まったのが水上温泉の松乃井旅館。車椅子も借りて、5月21日朝10時半頃、いよいよ出発。雨が降ったり止んだりのあいにくのお天気だったが、ザーザー降りではなかったので途中のトイレ休憩の時も傘を使うほどではなかった。水沢うどんの有名なところでお昼を食べて、道の駅にも寄って、2時過ぎに宿に到着。ゆっくり休んで、お風呂にも入ってから夕食。大きな宿屋でお客さんも多かった。ビュッフェ形式の食事だったので、柔らかいものばかりを選んで母に食べてもらった。子供たちはフライドポテトや肉まんなどびっくりする程食欲旺盛!!  
翌日は晴れ間も出てきた。すぐ近くで水仙祭りをやっているのを知り、まずそこへ。冬はスキー場になるところに一面にチューリップや水仙を植えてあり、こんな季節にとびっくり。リフトがあり、母も乗ると言うので私と二人で乗って山の上へ。山の上からは遠くの山々が見え気持ちが良かった。陽子たちはそこから歩いて花を見ながら下山、私と母は下りもリフトに乗って楽しかった。
それから、車で30分ほどの所にあるロックハート城というイギリスの古城をシベリア鉄道で輸送、移築、復元したお城へ。イギリス庭園にバラが咲き乱れている写真を見たので期待して行ったのだが、標高700メートルの所ではバラが咲くのは6月中旬とのことで全然咲いていなかった。そのかわりシャクナゲが見事だった。オオテマリやライラックなども咲いていた。みんなでお昼ご飯を食べてから、お城まで行くのは階段があって車椅子では無理だったので陽子達だけが登って行って、私と母は下で待機。お城も楽しかったようだ。

私はもうこれっきりと思って提案した4世代の一泊旅行だったが、家に帰ってからも疲れてふらふらすることもなく。陽子達がみんなとてもよくしてくれたので満足そうだった。
今回は緑が美しかったが、紅葉のころまた行けるだろうか。


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チューリップや水仙が一面に咲いていた

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山の上で。リフトに乗る時、車椅子は下に置いてきたので母は少し歩いた。

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陽子たちは歩いて降りた。遠くの山々が見え気持ち良かった。

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リフトに乗る。もう少し季節が前だったらこの下にも水仙がたくさん咲いていたみたい。

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ロックハート城。
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イギリス庭園。お目当てのバラは咲いていなかったけど、緑が美しかった。
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曽おばあちゃんに地図を見せて、今ここよと説明するひ孫。
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シャクナゲが見事でした
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お城の前で

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秀一君の車と母




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