カテゴリ: 宏樹庵便り

奥出雲。ここでは世界でここでしか使われていないやり方で純度の高い鉄製品ー日本刀、包丁、農機具などを作り続けていた。
「たたら」と呼ばれるその工法。
砂鉄を多く含む山を切り崩して、水に流して砂鉄を採取。山林の樹木で良質な炭を作り、粘土質の土で大きな炉を作ってその中に砂鉄や炭を入れて 3日3晩燃やし続けて鉄の素、玉鋼を作る。それを何度も何度も熱しては打ち熱しては打ち製品にする。気の遠くなるような工法。こうして出来上がった日本刀などは世界に誇れるものとなった。
江戸時代、松江藩主松平不昧公は鉄師を大切にして産業として発展させた。
今回その工法を知り大変興味深かったが、 それと合わせて驚いたのは、鉱山は鉱物が採取されている間は繁栄するが、採り尽くされた後は荒廃し、人も住めないようになるのが一般的だが、ここでは山を切り崩した後を棚田にして、砂鉄を流した水脈を棚田に引き入れ見事にあちこちを農地に変えて人々が豊かにそこで暮らせるようにしたことだった。そこで採れるお米は全国の品評会で金賞を取る程美味しかった。
鉄師の住んでいた館は記念館として何軒か公開されていて、私達はその一つ糸糸原家を訪れた。
たたらの精巧な模型もあったが、何代も続くその人達は茶道にも長けていて庭には様々な山野草が植えられていた。人柄の奥深さが感じられる。
もう花の終わったヤマシャクナゲの鉢植えがあったので買い求めて帰った。可憐な花が来春咲くのを楽しみにしている。 

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 糸原家の庭にて(糸原家の糸は糸を二つ並べて書くのが正式)

4月4日シンフォニア岩国にて石井啓一郎ファミリーコンサートが開催された。

世界中でコロナウィルスの感染が拡大し、日本でも様々な催し物が中止または延期される中、シンフォニア岩国でも3月いっぱいは会館が閉鎖されていた。4月1日からは再開との県の意向だったが、ますますの感染拡大を受けて検討され、ぎりぎりまで開催できるかどうか決まらなかった。3月31日になって、やっと館長さんからお電話があり、開催が決定。ただし、これは言われるまでもなくこちらであらかじめ用意していた事だったが、医師による体温測定、手指の消毒、入場者の連絡先のメモを残すことなど、いろいろ対策を施しての開催だった。体温測定はロータリー会員のお医者さんからご協力の意向を3月半ばに頂いており、心強かった。消毒液も私達が早めに買っておいて良かった。会館から入場者数を聞かれてチケットの売れ具合を集計したところ120枚くらいは売れていた。多目的ホールに席の間隔を置いて座ってもらうには100と言われ、思案したが、コンサートホールを使っても良いとの会館側からの好意で、1200席の大ホールで開催することに急きょ決まった。

4日午前中の会場練習では今までと違って非常に響くホールなので音の調整に気を使った。
そして本番。広いホールに点々と座るお客さん。皆マスクを付けている。
エルガーの愛の挨拶に始まり、モーツァルトのヴァイオリンとピアノのためのソナタK305、ショスタコーヴィチのヴァイオリン2本とピアノのための5つの小品(これをヴァイオリンとフルートで)、ライネッケのフルートとピアノのためのソナタ「水の精」。休憩をはさみ、ショパンの別れの曲、スコットの蓮の国、プロコフィエフ、ヴァイオリンとピアノのためのソナタ第1番より3・4楽章、G線上のアリア、チゴイネルワイゼンと言うプログラムだった。
好評だった。
開催できて良かった。

外は満開の桜。鶯が美しい声で鳴いている。カエルも鳴き始めた。
早くコロナウィルスが終息しますように。

ファミリーコンサート2020-1
これは会館が用意してくれました。

ファミリーコンサート2020-2
スタッフが作成した張り紙

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お医者様による体温測定

ファミリーコンサート2020-4
後で万が一の場合のメモ

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愛の挨拶

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ライネッケ「水の精」。演奏前に陽子が物語を紹介。そのため曲の流れをお話をたどりながらお客さんは楽しんでくださったようです。

終演後楽屋で
終演後、楽屋で。







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日本海の幸をたっぷり頂きました。

2月24日久し振りの休日。今回は日本海側の浜田に行った。
朝9時半過ぎに宏樹庵を出て大竹から高速に乗り、山陽道、中国道を乗り継いで浜田道で浜田へ。ちょうど12時頃ゆうひパーク浜田に着いた。漁港などを見下ろす高台にあるこの施設。石州和紙などのお土産も置いてあり、葉書を買った。空は快晴。海が碧かった。
そこから更に西のゆうひパーク三隅へ。その道すがら見える日本海はやはり瀬戸内海とは全く違った海で音からして違う。瀬戸内海は海の音がしない。たまに風の大変強い日には珍しく白波が立つこともあるが音は全くしない。いつも静かで鏡のような海、それが瀬戸内海。日が昇る時も月が昇る時も海に映って美しい。ゆうひパーク三隅のすぐ下に山陰本線が走っている。本線と言えど単線。1時間に往復で2本か3本走るのみ。見ている時に運よく列車が来た。1両編成の宇部線のような車両で乗っている人も少なそうだった。
石見海浜公園にも行ってみた。ここは県立公園だけあって大変広く、夏は賑やかなんだろうなと思われるが、今の季節は砂丘のような広い砂浜に人はほとんどいなかった。いろいろ流れ着いたものがあって宏二郎のお土産に拾って帰った。
日本海を満喫した後、近くの美又温泉に行ってぬめぬめしたお湯と日本海の幸は日頃の忙しさを忘れさせてくれた。
お天気に恵まれほんとに良い旅だった。

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海岸線を走る山陰本線

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ちょうど列車が来た

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砂丘のような砂浜

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ぬか漬けを始めた。
岩国には江戸時代から続いていた醤油造りがあって昭和30年代にそれを止めて漬物やさんになった「うまもん」が ある。そこに3年前その家の孫娘がUターンしてきて家を継いだ。それが中野百合子さん。若い彼女はピチピチとしたとても楽しいパワーを持った女性で新製品の開発や発酵食品の普及に、新しい独自のアイディアを入れながら、今まで勘だけに頼っていた所をちゃんと数値に出せる工夫もしながら、いろいろな所に出て行って力を発揮している。
「うまもん」では何回かぬか床作りの講習会も開いていた。1月22日初めて私も参加してみた。 その日の受講者は9人。東広島や呉などから2 時間弱かけて来た人もいた。同じ岩国の酒造「五橋」の酒米に使われている無農薬の米から採れる糠に井戸水と胡瓜をすり下ろしたものと唐辛子、昆布を混ぜてぬか床を作った。それから「うまもん」の築170 年の家の奥の部屋でこれからのぬか床の管理やぬか漬けの歴史などの講義があった。中野さんは菌は生きている。それを大切に育てるにはやはり農薬などに侵されていない野菜を使いたい。そういう農家との付き合いが始まり、菌を大切に思う人達の輪が拡がり、そうやって発酵食品の文化が拡がって行くと思うと話していた。
「うまもん」で作ったぬか床を家に持って帰り、まずはじっと見守る。20度位が適温との事で薪ストーブの部屋に置く。待つ事4日。言われていたように表面が白い膜に覆われた。1月26日糠を混ぜ、空気を入れてもう一度寝かせる。今度は前より早く膜が張ってきた。29日もう一度混ぜてその晩人参と大根を入れた。翌朝セロリ、二十日大根、胡瓜を入れた。胡瓜以外は全部畑から採って来たもの。そしてその晩、初めて食べてみた。野菜の元々の味がしっかり残っていて美味しかった。特に人参は美味しかった。いくらでも食べられるという感じ。大根は朝漬けたのでも良かったのかもしれない。 
次は何を漬けようかな。楽しみが増えた。 

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うまもんの店構え
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中野百合子さんのアイディアも光る

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初めての作品
 

12月12日ミュージックキャンプ20周年誌が印刷所から送られて来て今までの参加者に郵送した。
1999年に宏樹庵が出来て翌年、東京で1984年から続けていた石井と私の生徒達を中心とした室内楽の発表会を岩国でもやってみようかと思い立った。生徒の中で岩国まで来れる人、秀太郎のジュニアフィル時代の友達、萩の友人の生徒たち、それに新聞で募集した岩国の人、計15人で2日間レッスンを受けて最終日に発表する「ミュージックキャンプ」が始まった。場所は由宇町の銭壺山山頂にある山口県の施設「ふれあいパーク」 眼下に瀬戸内海の島々が拡がり、200人収容のホール、音楽室、交歓室などいろいろ整った施設だ。
2011年からは発表会の会場が由宇文化会館に移り、レッスン会場も黒磯自治会館になったので主に皆が集う場所は宏樹庵となった。20年前に参加していたお姉さん達はほとんど結婚してお母さんになった。そのお姉さん達が今度は自分の子供達に室内楽の楽しさを体験させようと取り組んだのが先日11月24日に開かれた「散歩がてらのコンサートin 東京」だった。それは大変好評だった。
この20周年誌は全69ページの中に20回分のプログラムと、参加者、聴きに来て下さった方、いつも朝食を用意して下さっている方のコメント、石井と桜庭氏と私のメッセージ、それにたくさんの素敵な写真が載っている。秀太郎がレイアウトをとても一生懸命練ってくれて見応えのある本に仕上がった。送られてきた記念誌を見て、たくさんの人から、懐かしい! あの時あんな曲を弾いてたんだ! 自分たちは3年しか参加できなかったけど子供があんなに生き生きとしていたのはあの時が最高でした! など多くの声が寄せられた。
20年を目指していた訳ではなく、年が積み重なっていつの間にか20年になったという感じだが、この記念誌を手にした人が、こんなにワクワクするような事を続けているんだということ、自分もそこに参加していたということを改めて認識してくれたらうれしい。
今後も今までのように自然に年を重ねていく事と思う。今は皆成長して上手になって大曲をこなすようになったが、来年は20年前のようなまだ室内楽の経験の無い子供達も参加して、皆と一緒に音楽を作り、練習は大変かもしれないけれど最終的には「音楽っていいな!」を感じてくれたらと思う。 
 
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表紙の写真は宏樹庵の近くから見る瀬戸内海。宏二郎撮影

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ふれあいパークでのレッスン風景
 

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