カテゴリ: 宏樹庵便り

4月7日から開かれていた宏二郎展が14日に終わった。
今回は宏樹庵に油絵15点、幸明館には流木や鉄片など近くの海岸に打ち寄せられたものにろうそくを描いたイコンを24点、計39点の作品が展示された。
油絵の中でも錦川上流と思われる、朝靄が立ち込めているような川「山河」は幅200センチもある大作。床の間の絵は濃い藍色の森「青寂」。どちらも奥行きの深さを感じさせる作品となっていた。
イコンはこれまでは流木に描いていたが、今回は鉄製の、何だったのかもう解らなくなってしまったものも海岸で拾ってきてろうそくを描いた。人が使っていたであろうその鉄片も、変わり果てた形になっているのだがろうそくを描くと何か命が宿るような気がする。
開催日に先立って6日夜には宏樹庵でオープニングパーティが催された。20人くらいのお客さんが集まり、岩国寿司やシシ肉のシチューなどを囲んで和やかに話が弾んだ。
日刊いわくに、中国新聞、毎日新聞、アイキャンでも取り上げられ、それを見て来ましたという人もいた。今回はかなり多くの場所にチラシを置いたのだが、それを見て来る人はあまりなく、やはり口コミで誰かが誘わないと来てくれないことを改めて思い知らされた。
展覧会の終了した14日の夜、家族で打ち上げの会をした。前菜に近所の蕨を煮たものとお隣の畑の牛蒡を酢牛蒡にしたもの、枝豆。ゴマ豆腐。採りたての筍と庭の蕗の炊き合わせ。瀬戸内海の水カレイを塩焼きにしてあとは貝汁やアボカドとクリームチーズのサラダなどいろいろ賑やかに食卓に並べた。お酒はうま味たっぷりの日下無双(ひのしたむそう)。「俺は宏二郎の絵が何点売れるかが一番の関心事だ。」と言う石井の弁は厳しく、11時にもうお開きにしましょうと私が言い出すまで続いた。

宏二郎展をずっと見守ってくれていたザイフリボクの白い花も少しずつ散り始めた。

山河
山河。輝きが素晴らしい。そして奥の奥まで川が続いている。

青寂
青寂。静寂ではなく「青」という字を使ったのは宏二郎の造語。

イコン
右端の板は五橋の酒井さんが持ち込んだとても古い板

イコン2
流木にも存在感がある。

鉄片
今回初めて鉄片にもろうそくを描いた。

ろうそく達
ろうそく達。1個1個を壁などに掛けるとまた風情があるのだが。

オープニングパーティ
オープニングパーティの夜7時には宏樹庵に入る小径にろうそくがともされた。

反省会
打ち上げ。孫も一緒に乾杯!



前菜
前菜。

筍と蕗
庭の蕗なので細いけれど香りと甘みがあった。

ザイフリボクの花
ザイフリボクの大きな木。手前は幸明館(宏二郎のアトリエと展示室)
塀沿いに咲いているのは赤と白のトキワマンサク。











familyconcert2019[1]

3月31日日曜日午後2時よりシンフォニア岩国多目的ホールにて恒例の石井啓一郎ファミリーコンサートが開催された。
今回18回目。啓一郎と啓子のコンビはもとより、それに陽子が加わって華やかで和やかなコンサートとして好評を得ている。
ヴァイオリンとピアノでドビュッシーの「小舟にて」とフォスターの「故郷の人々」の後、フルートとピアノでマルティヌーの「フルートとピアノのためのソナタ第1番」とボルン作曲の「カルメン幻想曲」。休憩を挟んで再びヴァイオリンとピアノでブラームスの「ワルツ」や「ハンガリー舞曲第4番」。そしてなんとサラサーテの小品ばかり4曲を並べるといった思い切ったプログラム。後藤みどりなら余裕で弾ける曲かもしれないが、石井啓一郎はそれほど技巧を得意とはしていない。むしろ民謡などを石井独特の節回しで弾くほうが合っている。毎日毎日の練習が大変だった。歯が痛くなって歯医者に何度も通った。(彼は曲のせいではないと言っていたが) 何とか本番までには一応お客さんに楽しんでいただけるまでにはなった。
このたびのコンサートのチケット販売に向けてはいつものスタッフはもちろんだが、岩国西ロータリークラブの方々が大変協力的でお蔭さまで例年より多い200名近いお客さんが集まった。高校生以下の子供たちも高森小学校の吹奏楽部の児童が19名などいつもよりかなり多かった。
翌日、スタッフの一人の家には大変良かったとの電話がいろいろな人からかかったとのこと。
クラシックの音楽が根付いているとはなかなか言えないこの地方だが、続けているうちに少し皆さんがコンサートに慣れてきたような感じがする。
これからももっとファンの層を広げて続けていきたいと思う。

陽子1

陽子2
陽子の暗譜力には定評がある。

啓一郎2 

啓一郎1

啓子
シベリウスのロマンスを久しぶりに弾いた。


アンコール1
石井のトークで皆さんにっこり。

アンコール2
アンコールはクロンケの蝶々。






3月7日前からお願いしていた藤重貞子さんによる岩国寿司講習会が黒磯自治会館で行われた。

藤重貞子さんは宏樹庵のお隣りの家の私たちが何かあるごとに料理長を務めて下さるお料理好きな方。岩国寿司も二十歳の時から作っていると言う。もう81歳なので私たちが自分たちで作れるようにしておかなければと思い、引っ越してきた藍ちゃんが幼稚園の園長先生からお寿司の木枠を頂いたこともあって、お願いした。

岩国寿司は岩国藩主の吉川広家が合戦のために献上させた保存食が庶民に広がって、今では岩国の郷土料理として定着、私の祖母の家にも大きな木枠があって小さかった私はお寿司を詰めたら上に乗って重石の役目をしていた。いっぺんに3升ものお米を使うので大勢親戚などが集まる時に作っていた。木枠は大小あり、藍ちゃんが頂いたのは1升用だった。家々で少しずつ趣が違い、岩国特産の蓮は使うが藤重さんのはその蓮が見えないように置いてあった。酢でしめた魚を使う家もあるが、藤重さんのは魚屋さんに頼んだおぼろ。ヒラメの身をすりつぶしてきれいな赤い色をしている。岩国寿司講習会1
まず炊き立てのご飯3升を木おけに入れ、素早くお酢をかける
岩国寿司講習会2
酢飯が冷えるまでに上に乗せる具材をみんなで用意
岩国寿司講習会3
青味の葉は今回はうちの畑の春菊
岩国寿司講習会4
蓮は湯がいて酢につけておく
岩国寿司講習会5
錦糸卵。これがきれいに焼くのが難しい
岩国寿司講習会6
藍ちゃんも果敢に挑戦
岩国寿司講習会7
いよいよ木枠に詰め始める。まずチシャを敷き詰めた上に酢飯を敷く
岩国寿司講習会8
その上に蓮などを順次乗せていく
岩国寿司講習会9
おぼろも乗せたら最後は錦糸卵
岩国寿司講習会10

その上にまたチシャを敷き詰める
岩国寿司講習会11
そしてまた酢飯を乗せる。その繰り返しで何段にもなるサンドイッチ状の押し寿司が出来る
岩国寿司講習会12
藍ちゃんも自分の木枠に作っていく
岩国寿司講習会13
一番上の段も完成
岩国寿司講習会14
重石を乗せて3時間くらい寝かせる
岩国寿司講習会15
木枠を外す
岩国寿司講習会16
専用の物差しを使いながら崩れないように慎重に切る。包丁も専用のもの。
岩国寿司講習会17
藍ちゃんのは木枠の面積が小さかったので4段にもなった
岩国寿司講習会18
初めてにもかかわらず上手に切れた
岩国寿司講習会19
いただきます!とっても美味しかったです!



















お雛様を飾った。
戦中、岩国に疎開していた叔母達が横浜に戻る時までに、祖父が叔母達のために買っておいてくれたそうで、祖父は戦後の闇市で手に入れたと言う。

祖父は子供のいなかった米本家に取り子取り嫁で養子に入ったのだが、勤め先(住友銀行)の関係で岩国には住まずすっと東京、横浜で暮らしていた。父は大正9年に生まれた。その後5人の兄弟姉妹が生まれ、、叔母は祖母に連れられて時々岩国に帰ったりはしたそうだが、ずっと東京近郊育ちだった。戦争が始まると祖母と二人の叔母と一人の叔父は岩国に疎開し、昭和23年までこちらにいた。
父は海軍で呉からパラオ方面に出兵した。岩国の家の近所の人たちが寄せ書きをしてくれた日本の旗を肌身離さず、戦地で戦った。と言っても父は主計局だったので実際に鉄砲を持ってアメリカ兵とやり合ったわけではないようだが、ほとんどの戦友が戦死した中、奇跡的に助かって帰国した。
東京に残された家族は家や財産をすべて焼かれ命からがら横浜に居を構えた。帰国した父は昭和23年に母と結婚し、翌年24年に私が生まれ、3歳までその横浜の家で、叔母達がいる大家族に囲まれて過ごした。中学生だった叔母は私を殊のほか可愛がってくれた。季節になれば祖父が買ったお雛様も飾られていたに違いないと思うが、残念ながら私の記憶にはない。

祖父母の晩年は私の両親が東京の家に引き取り、横浜の家を片付けた時にそのお雛様は大切に東京の家に持って来られた。しかしずっと押入れの奥にしまったままだった。私が岩国に住むようになって、そういえば古いお雛様があるという話になって、そのお雛様は岩国に引っ越してきた。
戦争のため、止むに止まれず手放した大切なお雛様だったのだろう。とても古い物で、造りも、刀はちゃんと鞘から抜けてピカピカな刃があるなど、大変精巧に出来ている。お顔の表情も豊かで、誰一人同じではない。

宏樹庵のお雛様となった。

宏樹庵の元になった家を建てた私の曽祖父、米本靖は昭和7年に灘村村議会全会一致で村長に選ばれ、4年間在任した。その間、東洋紡績株式会社を誘致し、海面を埋め立て、湾岸整備、道路の新設、中洋小学校の設立など、産業、教育、交通、運輸など各方面で著しい発展に寄与した。
惜しくも戦前に亡くなり、曾祖母だけが戦後まで残って一人でこの家を守っていた。曾祖母が亡くなった後、親戚の者がここを守ってくれていたが、それも叶わなくなり、しばらく空き家だったところを私たち二人が見に来た。石井は竹やぶを通って入る道が一目で好きになり、すぐにここに住もうと決めた。でもその頃はまだ日本フィルで演奏に、運営に忙しかったので岩国にすぐ住むことは出来なかった。でもすぐに改築しないと使い物にならないと建築士さんが言った。そこで1999年平成11年に出来上がったのが宏樹庵だ。
しばらく住む人のいなかった家に私が帰ってきて近所の人たちは喜んだ。近所の人たちは皆、私の曾祖母の事をよく知っていて、叔母とも庭でまりつきをして一緒に遊んだという人もいた。

そこに引っ越してきたお雛様。今後もどうぞよろしく見守って下さいますように。

おひなさま

お内裏様


1月26日、先日演奏会をした本郷町の学校から感想文集が届いた。
表紙には私たちの演奏している写真も印刷してあり、中にもところどころ写真が挟まっていて、生徒たちが可愛いイラストの入った便箋のような紙にそれぞれ一枚ずつ、思い思いに書き込んだ文集だった。


先日演奏会が終わった後で校長先生がおっしゃっていたことが気になっていた。
「この学校は生徒数が少ないので先生が子供たちに手をかけすぎてしまいがちです。先生としては子供たちにもっと美しく、もっときちんとしたものを、とどうしても思ってしまい、それができてしまうのです。でも、そうすると本来子供たちが持っているものがそがれてしまうかもしれない。」
本郷小学校が30年前から続けている山村留学の受け入れで、毎年出している作文集がある。以前それを読んだことがある。習字も先生が丁寧に教えているらしく、みんなとても上手な字で立派に書いていた。こんな風に教えてもらえたらいいだろうなとその時は思った。
でもはちゃめちゃな所もあるのが子供だ。

今日届いた感想文は一人一人が短い文なので、先生の手は入っていないのだろう。感じたことが直接伝わって来た。
小学3年生 美しいメロディーでかなしみやよろこびやかげきさがしみじみとつたわりました。兄がバイオリンをやっているので聞かせたかったです。また来て下さったら山口の七つのみんようを聞かせてください。
小学4年生 私が一番心に残ったのはソナタです。ピアノとバイオリンがどちらもしゅやくでとても力強く、すごかったです。
小学4年生 バイオリンを聞いて、とてもねむたくなりました。とてもきれいな音につつみこまれるようでした。
小学4年生 ヴァイオリンはいろんな音が出て、強弱がはっきりでていてすごかったです。ピアノはとても速く、二人の息があっていてすごいなーと思いました。
小学4年生 私はピアノを習っていますが啓子さんみたいにうまくありません。バイオリンは習っていませんが見たことはあります。でもあんなひき方があるなんて思いませんでした。
小学4年生 わたしは一気に音がfになる所と、豊かでやさしいメロディーの所が心に残りました。バイオリンはいろんなね色が出ることを初めて知りました。
小学5年生 私はG線上のアリアという曲が好きです。私は音楽が好きで、名前にも音という字があります。ピアノの美しい音、ヴァイオリンのすばらしい音、すべてが感動しました。私も音楽にかんするお仕事をしてみたいです。
小学6年生 生演奏を初めて聴いて私は感激しました。最初にきいた曲は放送室にCDがあるので、後日流したいと思います。ピアノの方も演奏がとても上手くて、私もいつかそんな風に上手くなれたらいいです。
6年担任 バイオリンのつくりや弾き方等、知る機会がないので新しく知ることばかりでした。G線上のアリアは好きな曲でしたが、ますます好きになりました。子供たちと色々な曲を聴いてみたいと思います。
中学1年生 バイオリンは弦を押して弾くだけだと思っていました。でも今日の演奏を見て弦は手ではじいてでも弾けることが分かりました。ピアノは速いリズムをひくのがすごいと思いました。しかも楽譜の音符がすごくておどろきました。
中学2年生 聞きながら、バイオリンの良さ、奥深さを感じさせていただきました。激しくゆれるような曲から、ゆるやかで流れるような曲まで、どれも心に残るものとなりました。
中学3年生 僕は生演奏を聴くのは初めてです。CDを流すのと違い、本物は空間にも心にも響きました。普段から全く縁のないバイオリンが少し近くなってきたように感じました。
中学3年生 最近少しヴァイオリンに興味があったので、間近で聞くことができとてもうれしく思いました。ピアノ演奏もとてもすばらしい音色で気持ちよく聞き入ってしまいました。手足が冷たいなかとてもなめらかに弾いていらしているのを拝見してプロはすごいなと思いました。

そして皆一様にまた聞きたいと言ってくれました。
ありがとう!
本郷町感想文集

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