2月11日 ひと月ぶりに石井と宏樹庵に帰ってきた。
検査入院の後 1月21日に頚椎の手術を受けた。
病名は黄色靭帯骨化症。脊髄の後ろ側の背骨を支える靭帯が骨のように硬くなって脊髄を圧迫し下肢などにマヒが起こる病気。
日本フィル在籍当時から腰の痛みがあった。我慢強いのと医者嫌いなのが相まってずっとそのままになっていた。しかし、日本フィルを定年退職する年の2月の九州公演では楽員に荷物を持ってもらうほど悪化していた。
脊柱管狭窄症だと思っていた。本を買って、こういう体操をしてみたらと勧めたが、そんな体操はできるどころではなかった。そこで、しかたなく岩国の医師会病院の整形外科の先生を紹介してもらって行き、MRIを撮ったところ首の骨の異常が見つかった。その先生はすぐに手術をした方が良いと言う。しかし、首の手術だ。ヴァイオリンを弾く身でそんな手術をしても大丈夫なのだろうか。宇部には石井のことをよく知っている医者がたくさんいた。その先生方に相談し、結局宇部にある山大医学部の病院で手術を受けることにした。それを決めたのが昨年8月。手術するには演奏活動がふた月くらい無い時ということで今年の1月まで待った。
手術は首の6番目7番目と背骨の一番上の骨の後ろ側にある突起の部分を切り、骨化している部分を削り取り、後4本のスクリューとブリッジで固定するということだった。手術時間は約3時間と言われた。
9時手術開始。しかし12時を過ぎ、2時近くなってようやく「手術は遅れていますが順調に進んでいるのでもう少しお待ちください。」と連絡があったきり、3時になっても4時になっても終わらなかった。待つ身は気が気ではなかった。悪い方ばかりを考える。
5時10分、ようやく「終わりましたのですぐICUにいらして下さい。」との連絡。飛んでゆく。
もう石井は目が覚めていた。まだお昼ごろと思っていたのに夕方だとわかってびっくりしていた。痛みはなさそうだった。時間がかかったのは、骨が硬くて削ったりするのが大変だったということを後で説明された。
やっとほっとするのも束の間。その後の3日間が一番しんどかった。
首の真後ろを切っているので、上を向いたまま寝ていて、首をちょっとでも動かしてはいけないと言う。人一倍じっとしていられない性格の石井。夜寝ている時でさえ、朝起きてみたら頭が足側の布団の下にあったなどという事も。それなのに動いてはいけない。
2日間は一睡もできず、拷問だと言いストレスで血圧が上り、だんだん幻覚症状が現れた。病室に泊まり込んでいた私が水平に立っているように見えるなどと言い出した。先生に伺うと、大手術の後はそういうことがよく起こるそうだ。
4日目にやっと起き上がることができるようになって、食事も自分で食べられて精神的にも落ち着いてきた。
それからは快復が早かった。夜は30分ずつくらいしか眠れないようだが、歩くこともできて、一週間経つ頃、部屋の掃除までした。
2月10日最後の先生の診察が夕方5時過ぎにあった。
「手術は大成功です。」
石井:手がしびれているのですが・・・
「体のふらつきは改善されているので、徐々に手のしびれもよくなるでしょう。」
11日朝、退院した。
足腰は前よりも良い。首を固定するために装着していたカラーは外しても良いと言われたのでヴァイオリンの練習は今までどおりできる。しかし、手、特に右手の薬指と小指が、手術前はそんなことは全然なかったのに、しびれて自分の手のようではないらしい。弓が思うように持てない。
少しずつ慣れてきてはいるが・・・

散歩に出た。小川のクレソンの生育状態を確かめる。
冷たい風が吹く日だった。以前はそんな日でも手袋なしでも手がとても暖かかった。それなのに今は手が氷のように冷たくなると言う。