村上海賊
村上水軍と言うのが定着していたが、近年「海賊」と言う表記に改めたようだ。
「SAMURAI」と言うのが世界で通用するのと同じで「KAIZOKU」と言うのは海で略奪などをする集団ではなく、戦時には海の武士団として、例えば1555年厳島の戦いでは毛利方に付いて陶の軍を退け、1576年には織田信長の兵を破って毛利方と無事に石山本願寺に兵糧や武器などを届けた第1次木津川口の戦いは有名である。平時は水先案内人、また商人や漁業者としても活躍、お茶やお香を嗜み、歌も詠み、文化人としての気質も併せ持つ日本独自の海の民としての「KAIZOKU」なのだ。
能島村上家、来島(くるしま)村上家、因島村上家の三家あり、それぞれがお互いに強い同族意識で結ばれ、周辺の戦国大名と時には友好関係、時には敵対、緊張関係となりながら独自の姿勢を貫いた。能島村上と因島村上は主に毛利と組んだので、山口県周防大島に居を構えた末裔もおり、村上KAIZOKUの歴史と文化を世に広めるのに尽力した。

8月19日にしまなみ海道を通って今治へ渡った。
今治の少し手前の島に村上海賊ミュージアムという立派な博物館があり立ち寄った。
村上家に残された手紙や陣羽織など貴重な品々が展示してありKAIZOKUを身近に感じた。
宿は今治から少し山の中に入った鈍川温泉。渓流のそばの涼しげな宿だった。料理の上に乗せられた紙が美しいなと思って見ていたら、部屋にはこの宿屋の女将が刊行した直筆の書と俳画と俳句の本が置いてあった。書も素人の域を超えた勢いのあるなかなかのものだった。高浜虚子や正岡子規などを生んだ土地柄なのだろうか。

IMG_1410
村上KAIZOKUが使った舟の前で

IMG_1412
村上海賊ミュージアム

IMG_1415
宿の女将による絵とあいさつ文(料理の上に乗せられていた)

IMG_1416
タイのカルパッチョが美味しかった。写真に撮るのを忘れたが鯛の兜煮もとても美味しかった

IMG_1423
翌朝、近くを散歩。渓流の音が爽やかだった。

IMG_1431

IMG_1429
こんなつり橋も。

IMG_1441
来島海峡をまたぐ大橋