岩国市の農林業施設の維持原材料支給制度。
それを利用しての路肩補強工事がこの近所の男衆の手で8月17日と18日の二日間施工された。

事の起こりは7月中旬宅急便が宏樹庵へ荷物を届けた後、ちょっとした油断で小径の路肩を踏み外し、竹やぶの太い竹に支えられて横転はしなかったものの動けなくなってJAFに来てもらって引っ張りあげてようやく小径から抜け出せた事件。宅急便は狭い小径をよくトラックで入って来るが、その日は少し右に寄りすぎた。トラックが出たあと、もともと沈みがちだった路肩は大きくへこんだ。それでも普通車は通れない事はなかったが、自治会長のN氏に相談したところ、彼は市役所に連絡してくれて原材料支給制度を使おうという事になった。それを聞いた時、私は材料をもらったらそれから業者に頼んでやってもらうのかと思ったが、なんと工事は自分たちでやるとの事!!! 都会で育った私には考えられないことだった。
8月7日に土嚢、セメント、アスファルトなどの材料が届いたが、お盆に入ってしまったので工事は17日と18日にやることになった。
17日は4人の人が来て、路肩の落ち葉や余分な土などを取り除いて元の石垣の所まであらわにしてセメントを流し込む板などを取り付けた。18日は9人もの人が来てくれて、セメントを撹拌する人、運ぶ人、流し込む人、アスファルトの下に敷く砂利を運ぶ人、踏み固める人、様々な作業を手際よく行い、8時から始めて11時半頃には作業を終えた。こういう工程をこの近所の人たちはどこでどういうふうに学んだのだろうか。セメントを撹拌する機械を持っていたのは、いつも宏樹庵の手伝いをしてくれるM氏。彼は兼業農家で昼も夜も忙しく仕事を任されて働いているが、電気工事の事も学んで自分の大きな家も自分で建てた。セメントを撹拌する機械もその時購入したものだそうで、もう40年も使っていると言っていた。路肩の工事も中心になるのはやはり彼。彼は田んぼに通じる道の石垣も先日積み上げていた。年齢は81歳。とてもそうは見えない。秀太郎がイタリアから帰って来る年、2003年、宏樹庵の古い蔵を改造して秀太郎の工房にしてくれたのも彼とその仲間達。その3人はとても仲が良くて楽しそうに改造に携わっていた。その一人はもう亡くなったが。ある時、宏樹庵の台所の電灯が壊れたのでどこに頼んだら良いのか聞いたところ、そんな事は知らなかった。なんでも自分で出来てしまうので人に頼んだことがないのだ!彼の作るミカンは、忙しくてあまり手をかけていないはずなのになぜかとても美味しい。
スーパーマンというのはこういう人のことだと思う。

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17日の作業。音を聞きつけて宏二郎たちもやって来たが何も手出しが出来なかった。
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セメントを流し込む準備
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セメントを撹拌する機械も運び込まれた。
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18日の作業
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セメントを流し込んだ後、動かないように棒状の板で止める。
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工事完了
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その奥に宏樹庵は佇む。