その子は小さい時から宏樹庵に毎年夏、家族で来ていた。
花火の音が怖くて、みんなで花火をやる時はやる場所から一番遠く離れているトイレに灯りを点けて隠れていた。
両親が訳あって離婚した。母親はその子とその弟妹を連れて母親の父の元に移り住んだ。当然学校は変わらなければならなかった。中学1年の3学期。その転校先の雰囲気に馴染めなかった。友達は出来ず、学校に行っても教室に入れなくて別の部屋で過ごした。しかし、勉強が嫌いではなく、塾に通って高校には受かった。その高校へ通うのも次第に難しくなり、2年になる時転校した。しかし、転校した高校にも通えなくなった。だんだんゲームにのめり込み、ゲームを買うお金が欲しくて祖父のお金に手を出すこともあるようになる。母親はさすがに困り果て、カウンセラーの人に相談した。とにかくすべての外界のものが怖いので、母親だけは救いの窓口になるべく、優しく接することを母親は決心する。
その子が夏休み、一人ででも、なるべく早く、宏樹庵に来たいと言う。母親に聞けば、昼夜が逆になり、昼間は寝てばかり、夜は起きてゲームばかり、食事もまともに取れないと言う。私はどうしようかと思ったが、来たいのなら来ればと承諾した。
8月1日、彼は新幹線で一人でやって来た。
母親はああ言っていたが、私たち老人の前では彼は素直だった。ゲームはやるが、食事は私たちとい一緒に三度三度きちんと食べて、好き嫌いも言わない。石井が時折新聞記事の話題などを投げかけても話がかみ合わないこともなかった。
ところが9日に陽子と子供たちが来てから状況が変わった。
昨年までは陽子の子供たちと仲良くやれていたのに、時々衝突して気持ちが折れる。救いを求めるように母親、或いは仕事をしている母親にはそうしょっちゅうかけられないので祖父に電話をかける。1時間以上も話している。機嫌が直れば陽子たちとでかけたりする。でも、どういう言葉が気に障ったのか、突然プッツンときて部屋に閉じこもってしまう。何が悪かったのかこちらには何も分からない。ゲームだけが外界から身を守る唯一の術のようだった。
17日にやっと母親が宏樹庵に来た。前日から待ち焦がれる事、異常な程だった。母親が来ても気持ちが折れることはあった。しかし復活するのに前よりも時間がかからなくなった。
8月19日彼の17歳!!!のお誕生日をみんなでお祝いした。彼は嬉しそうだった。
8月23日彼は母親とともに柏市の家に帰っていった。帰り際に、「また来る。」とぼそっと私に言った。
2学期が始まる。でも学校には行けないのだろう。このままの自分ではいけないと心の中のどこかでは思い始めている風にも思える。一人で宏樹庵に来たかったのだから。これからどうするのだろう。どういう大人になるのだろうか。
うちの孫の一人、小学3年生も学校に行けてない。
いつだったか新聞に、小中学生の28万7千人以上が学校に行けてないという記事が載っていた。学校側も来れないのだったら無理に来るように説得はしないらしい。フリースクールなどの別の手段に頼る。
学校が悪い?先生が悪い?親が悪い?子供がわがまま?
学校という概念が変わってきた。
花火の音が怖くて、みんなで花火をやる時はやる場所から一番遠く離れているトイレに灯りを点けて隠れていた。
両親が訳あって離婚した。母親はその子とその弟妹を連れて母親の父の元に移り住んだ。当然学校は変わらなければならなかった。中学1年の3学期。その転校先の雰囲気に馴染めなかった。友達は出来ず、学校に行っても教室に入れなくて別の部屋で過ごした。しかし、勉強が嫌いではなく、塾に通って高校には受かった。その高校へ通うのも次第に難しくなり、2年になる時転校した。しかし、転校した高校にも通えなくなった。だんだんゲームにのめり込み、ゲームを買うお金が欲しくて祖父のお金に手を出すこともあるようになる。母親はさすがに困り果て、カウンセラーの人に相談した。とにかくすべての外界のものが怖いので、母親だけは救いの窓口になるべく、優しく接することを母親は決心する。
その子が夏休み、一人ででも、なるべく早く、宏樹庵に来たいと言う。母親に聞けば、昼夜が逆になり、昼間は寝てばかり、夜は起きてゲームばかり、食事もまともに取れないと言う。私はどうしようかと思ったが、来たいのなら来ればと承諾した。
8月1日、彼は新幹線で一人でやって来た。
母親はああ言っていたが、私たち老人の前では彼は素直だった。ゲームはやるが、食事は私たちとい一緒に三度三度きちんと食べて、好き嫌いも言わない。石井が時折新聞記事の話題などを投げかけても話がかみ合わないこともなかった。
ところが9日に陽子と子供たちが来てから状況が変わった。
昨年までは陽子の子供たちと仲良くやれていたのに、時々衝突して気持ちが折れる。救いを求めるように母親、或いは仕事をしている母親にはそうしょっちゅうかけられないので祖父に電話をかける。1時間以上も話している。機嫌が直れば陽子たちとでかけたりする。でも、どういう言葉が気に障ったのか、突然プッツンときて部屋に閉じこもってしまう。何が悪かったのかこちらには何も分からない。ゲームだけが外界から身を守る唯一の術のようだった。
17日にやっと母親が宏樹庵に来た。前日から待ち焦がれる事、異常な程だった。母親が来ても気持ちが折れることはあった。しかし復活するのに前よりも時間がかからなくなった。
8月19日彼の17歳!!!のお誕生日をみんなでお祝いした。彼は嬉しそうだった。
8月23日彼は母親とともに柏市の家に帰っていった。帰り際に、「また来る。」とぼそっと私に言った。
2学期が始まる。でも学校には行けないのだろう。このままの自分ではいけないと心の中のどこかでは思い始めている風にも思える。一人で宏樹庵に来たかったのだから。これからどうするのだろう。どういう大人になるのだろうか。
うちの孫の一人、小学3年生も学校に行けてない。
いつだったか新聞に、小中学生の28万7千人以上が学校に行けてないという記事が載っていた。学校側も来れないのだったら無理に来るように説得はしないらしい。フリースクールなどの別の手段に頼る。
学校が悪い?先生が悪い?親が悪い?子供がわがまま?
学校という概念が変わってきた。