2016年07月

日本にはいくつの峡谷があるのだろうか。



山があって川は何日もかけて海に流れ出るのではなく、日本は狭いのですぐ海に出る。田んぼがあって遠くには必ず山がある。平地は狭い。



岩国に居を構えて寂地峡には何度か足を運んだ。とても涼しく、ちょっと冒険もできて楽しい。



島根県の匹見峡温泉に泊まって翌日、戸河内のインターに乗る前に三段峡に立ち寄った。広島県有数の峡谷だ。太田川の支流柴木川にある16キロメートルに及ぶ峡谷だ。何か所かから入れるが一番一般的な長淵から黒淵まで歩いた。往復2時間半余り。緩急の流れを楽しみ、巨大な岩もたくさんあり。自然の力強さを感じた。それにしても秋芳洞でも感じたが、こんなところに初めて遊歩道を作った人達の苦労はいかばかりのものか。崖っぷちに道を作り、ある所は岩をくり抜いてトンネルにして道を作った。平日だったので行き交う人はあまり多くはなかったが、すれ違うと必ず挨拶し、それも女の人が前だと女の人の方が元気よくこんにちは!!と言い、男の人が先頭の場合は男の人が挨拶する。それも面白いなと思いながら挨拶を返す。挨拶は出来た方が良い。顔を見て挨拶が出来ればこの世も大丈夫だと思う。



それと、今回初めて中国自動車道を東に行った。六日市は島根県、それからすぐに寂地峡のあたりを通るので岩国市!!、それから廿日市と戸河内は広島県。たった10分くらいの距離で3つの県を通ることが面白かった。



 



 



狼石



巨大な岩のすぐ脇を通る。



姉妹滝



姉妹滝



龍の口



龍の口、狭い川幅の所を凄い水量の水が流れ、真っ白なしぶきをあげていた。



流れは速く



流れは緩急いろいろ



ゆっくり流れる



断崖絶壁の急流



淵



女夫淵



 



遊歩道



 



赤滝



赤滝。石が赤く見えるのは紅藻ごけのためとか。



遊歩道に洞穴



遊歩道にトンネル



洞穴の中



トンネルの中はしずくが垂れていた



聳え立つ岩



行くてにはそそり立つ岩壁



聳え立つ山



黒淵



黒淵。渡し舟もあり、岸からは見えない秘境も楽しめるそうだ。



 



 



その土地は、宏樹庵の竹やぶの間の小径を出たところの道をずっと上がって行って徒歩10分位のところにある。



何軒かの家が無くなるとみかん畑や棚田があり、その上には昔は田んぼだったのだろうけれど誰の手も入らなくなって何年も経ち、くずの葉に埋め尽くされてしまった土地が広がる。道の脇には川があり、梅雨の雨を集めて、小さい川なのにざあざあと大きな音を立てて流れている。



その土地まで来ると、少し上に道路があり、道路の上側には集落がある。土地のすぐ下は蓮田で、年老いた夫婦が丹精込めて蓮根を作っている。今、白い花が咲き始めた。遠くに瀬戸内海が見渡せる。梅雨のぼんやりした海だが、兜島と大黒髪島が正面に見えた。



草はすぐ伸びる。4月に二人で何日かかけて草刈りをした場所なのだが、3か月も経つと、そんな形跡はあとかたもなく、草は身の丈程にも伸びて土地を覆っていた。



雨の多い今年の梅雨だが、昨日と今日は雨が降っていなかったので、二人で草刈り機と熊手を担いで登って行った。



草刈り機にはガソリンが満タンに入れてあるので結構重い。肩にタオルを置いて私が担ぐ。手には手袋を二重にしていった。野ばらの群にもくずが巻き付いているので要注意だ。きれいだから残しておこうなどの生易しい気持ちでは埒があかず、すべて切る。途中でガソリンが無くなって、またいっぱいに入れる。



2日間で下の段はだいぶきれいになった。あと上の段をきれいにするのに3日はかかるだろう。梅雨が明けると暑いだろうな。



 



クマゼミが鳴き始めた。



 



草刈り



今日は父の七回忌。



父が亡くなったのは平成22年7月18日。大腸がんなどで入退院していたが、7月初めの入院から急に悪くなった。前の年、初めての父と母の句集「あやとり」が完成し、椿山荘にて皆でその完成とダイヤモンド婚を祝った。父は緑内障のため目がほとんど見えなくなっていて制作には苦労が多かったが、根気よく頑張ってやり遂げた。亡くなる年の4月終わりにはチューリップ畑を見に行ったりして最後まで人生を楽しむという姿勢を忘れなかった。



 



今日は夕方に近親者が集まることになっていたので、午前中、母は障子の破れた所を何か所か張り替え始めた。破れた所の枠にそって紙をカミソリで切り取り、持っている書の紙の適当なのを探してきて、枠の大きさにのりしろの部分を計算して紙をハサミで切り、枠にヤマトのりを付けて貼っていく。なかなか上手だ。



母は今年の11月で89歳になる。普段は一人暮らし。食事は自分では作らないので宏二郎と私の妹が週に1回ずつ作りに来て、一緒に食べ、また作り置きをして帰る。私達3姉妹や孫達は母にあまり可愛がってもらった覚えがないので(もちろん良い母ではあったが)意外だったことに、ひ孫は可愛いらしく晴香たちや宏二郎の息子一青が来ると大喜び。今はひ孫も大きくなってもう抱けないが、生まれた直後はうれしそうによく抱っこしてくれた。月に2回ずつ自分の家と西武のカルチャーセンターで書を教えている。生徒は25人くらい。永年教えている生徒さんの中にはもう毎日書道展の審査員クラスの人もいて現在の書道界を引っ張っている。10年余り前からは豊岡市主催の全国展も開催されるようになり、足しげく豊岡にも通うようになった。



 



そこで私は提案してみた。今年3月の宇部での二人展は大変好評だったので、今度はそれを豊岡でやってみたらと。



豊岡では以前、毎年のように私達の演奏会が開かれ、子供達が小さい頃は毎夏遊びに行っていた。当時の私達の支援メンバーはもう高齢化して、亡くなった人も多い。でもわずかに残っている人の中には未だに文化協会の仕事に携わっている人もいる。その人達がまだ動けるうちにもう一度一肌脱いでいただこう、次へつなげるためにも、と思った。



母はその提案に乗った。



開催の時期は来年11月。会場選定のため、今年私にも一緒に豊岡へ行って欲しいと言い出した。



 



父の仏前にて私は、どうぞ母をお守り下さい、と祈った。



 



障子貼り



真剣な表情で紙を貼る母



七回忌



白菊の枯れて遺影の笑みしまま  さちこ



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