2016年05月

5月27日。44回目の結婚記念日。
今、私は66歳なのでちょうど人生の3分の2を共に過ごしたことになる。

22歳の時、どうしてもこの人に付いて行きたいと思って結婚した。親は反対だったが、石井の父が私の父を説得しに来てくれてようやく承諾してくれた。
石井は私が今まで見たことのない野草のような人だった。
哲学を語り、堀辰雄の初版本などの事を熱く話していた。
結婚した当初は私はまだ大学院に通い、石井の両親と姉と祖母も同居だった。
石井がオーケストラに入るとは思ってもいなかったのだが、日本フィルの問題が起き、それはおかしいのではと奮起して日本フィルに入団し、解雇されたばかりの楽団の情宣部で、泊まり込みもあり忙しかった。
大学院を卒業した後、二人でミュンヘンに留学した。
運よく、とても快適な下宿に巡り合ってそこの叔母さんに可愛がられた。長男が生まれ、彼女は自分の孫のように接してくれた。
留学中にはソリストとしての推薦もあったが、日本フィルとの約束を守って2年で帰国。
石井は楽団長を務めることになって、母子家庭ですかと言われるくらい家に落ち着いている暇がなかった。それでも年1回はちゃんとしたリサイタルを開こう、それも10回目までは全部新しい曲で、と決めて自分の勉強もおろそかにしなかった。
私は帰国後、次々に子供が生まれて子育てに忙しかったが、それでも一緒にやっていきたいという気持ちが強く、何とか頑張って練習した。能力の無い私なんかが弾いていてどうなることかと思えた時期もあった。でもこれだけ忙しい石井だから、時を選ばず一緒に練習できる私とでないとリサイタルは成り立たないと思い、練習した。
帰国後に住み着いた小平という場所が良かった。
古いマンションだったが、夜10時まで音が出せた。11時頃まで弾いていたこともあった。車がほとんど入ってこない行き止まりの場所だったので子供たちは外でのびのび遊べた。同じような年齢の子供たちがたくさんいた。みんな仲が良かった。
宏樹庵に移り住むまで、36年間小平で過ごした。
その間、全国各地に赴き、演奏会を開き、様々な人と出会い、たくさんの幸せをもらった。

今年6月7日の東京でのリサイタルは39回目。
来年は40回になるので今後の事を考えるきっかけにしよう。
前から石井が言っているように80歳まで現役で弾いていたいと私も思う。弾きたい曲もあるし、二流の私でももう少し上手に弾けるようになるかもしれないとも思う。音楽の素晴らしい力を信じていたい。
でも、演奏会の形態は今のままでなくても、と思ったりしている。

結婚記念日の夕食はいつものように濡縁で。
メインは私達にしては珍しくお肉。最上級の牛肉と豚肉も少し。野菜はきのこ以外は畑のもの。
祝い酒は村重酒造の社長さんが先日直々に宏樹庵に持ってきて下さったお酒。少ししか作っていないので中々手に入らないそうだ。私もこのラベルは初めて見た。フレッシュな美味しさが口に拡がった。

結婚記念日
肉汁が下に落ちないように鉄製のグリルパンを買った。とても美味しく焼けた。

最上級の牛肉
最上級の牛肉。ミディアムに焼いて美味しかった。

祝い酒
臥龍錦松。

その朝は周防大島まで餅を取りに行くことから始まった。
8時少し過ぎて家を出る。国道を下る。大島は朝靄に包まれて稜線だけが遠くに見えた。神代辺りでようやく横たわる大島がはっきりしてきた。1キロ以上ある橋を渡り大島へ。ひたすら海岸線を走る。1時間余りで餅やに到着。言ってあった時刻より早かったので、もしやまだ出来ていないかもという一瞬の不安がよぎったが、ちゃんと餅まきの餅150個準備されていて持って帰る。
上棟式当日はお昼はお弁当、夕方5時から上棟式をやって餅まき、そして宴会になるという手順通り、お昼は注文してあった洋食屋さんにお弁当を取りに行き、それも好評だった。
大工さんは棟梁の久良さんの下に二人の若い大工さん、その他何人かの助っ人がいた中に宇部から来た人もいてびっくり。久良さんの作業場で作った材木をここで組み立ててクレーンで吊り上げ屋根の形にする。1㎜の狂いも許されない作業を実際この場で初めて組み合わせる時には大工さん自身ドキドキするそうだ。
ドキドキの連続で家が出来る。
餅まき用の餅には五円玉や五十円玉も何個か結んだ。宏二郎と私が住居の2階に上がり自治会館前に向かって餅を投げた。普段物を投げたりすることがない私はなかなか餅が遠くに投げられなかった。それでも近所の人たちがたくさん来てくれて受け取ってくれた。受け取ってくれた人の一人が宴会にその餅を持ってきて焼いて食べたら柔らかくて美味しかった。
アトリエ棟は4月12日に棟上げを済ませ、もう屋根が出来ていたのでそこで宴会となった。
昔ながらの土壁の家にするので、その芯となる竹を編んだ壁が今の現状。これだけでも十分美しい。家が完成した時点ではこれが全部見えない部分になるというのが惜しい気がする程美しい。屋根の部分もそうだが、柱と梁も全部釘で打ち付けるのではなく、組んである。宏樹庵は築100年以上経ち、この間の熊本地震でこの辺りも震度4で揺れたけれども、ああ地震だねと言うくらいでどうもない。宏二郎のアトリエも住居も大工さんが言うには100年は大丈夫だそうだ。
宴会では遠くに車で帰る人もいるとのことでちらし寿司をたくさん作った。しし鍋も好評だった。この日のために取っておいた森伊蔵も大変好評だった。大工さんの奥さんがそれぞれ迎えに来ているのになかなか席を立つことができずに、片付ける頃にはポツリポツリと、予想より早めの雨が落ち始めた。

餅まきの餅
餅まき用の餅 その朝の出来立て
餅まき
餅まきには近所の方がたくさん集まった
宴会場
宴会場となったアトリエ棟、正確にはここは展示室となる。壁より下に窓があり、大工さんはここで昼寝をしていると大変気持ちのいい風が来ると言う。竹で編んだ壁の芯は本当に見事。
 

5月3日から宏樹庵と黒磯自治会館で始まったミュージックキャンプ。2日間のレッスンを経て、5日午後2時から由宇文化会館にて「散歩がてらのコンサート」。今年も無事に終了した。
3日は台風のような暴風雨で、自治会館でレッスンをしていても宏樹庵の駐車場に張ったテントが飛ばされるのではと心配だった。4日5日は大変良いお天気に恵まれた。
今回は陽子が小さい子を連れて参加するので、他の人にも子連れで参加できますよと声をかけたら3人の人が1歳や3歳の子供を連れて宏樹庵に泊まった。そのためキャンプ中は宏樹庵に8人も7歳以下の子供たちがいて、それに小学生や中学生が加わり、大変賑やかだった。結婚して子供が出来ても、もっと勉強したいと思っている人はいて、このキャンプはそういう意味で新しい展開を見せたと思う。
40人の食事は前もって煮込んでおいたカレーやセルフサンドイッチ、夜はバーベキューや焼きそばなどで賄った。子供たちが楽しみにしていたかがり火も焚いた。燃料にする竹をチェーンソーで30センチほどの長さにするのは1日にいらした桜庭先生にも手伝っていただいた。そのあとその竹を細かく鉈で割るのは子供たちの仕事。
2日間午前10時から午後7時半ごろまで17組のレッスンが続き、いつもは弦楽四重奏が多いのだが、今回はスメタナ、メンデルスゾーン、ブラームス、ショスタコーヴィチ、ハイドン、ミヨーなどピアノ三重奏曲がほとんどで私は食べる時間もほとんどなくレッスン浸けになった。初参加の8歳のみいちゃん、9歳のノンちゃんは親が前から参加していて来るのは初めてではなかったが、舞台でも堂々としていた。由宇町に実家があって今東京音大に通っている女の子もとても上手だった。
昨年から調子の悪かったガリア―ノが、キャンプの始まる少し前から、もしかしたら良くなってきたかもと手ごたえがあり、5日の本番でも桜庭先生から問題ないのではと言われ、これまでの重苦しい胸のつかえから解放されたのも大変うれしかった。
これでリサイタルに臨める。―--しかし、それにしても時間が足りない。

うつぎの紅白の花が美しく咲いた。

竹を切る
チェーンソーで竹を切る桜庭先生
江波家族
江波家族のハイドンのピアノ三重奏曲。おちびちゃんだった弘介君ももう5年生!
初参加ののんちゃん
初参加のノンちゃん
チェロ三重奏
今回はチェロの三重奏でポッパーのレクイエム。美しい曲だった。
初参加みいちゃん
初参加のみいちゃん
初参加ちいちゃん
初参加の知恵さん
初参加松村さん
初参加の松村さん
ウツギ
うつぎの花

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