2014年08月

みんなが帰ってやっと練習時間が取れるようになった。陽子の二人の子供たちはママが練習していても邪魔することなく二人で仲良く遊んでいてくれる。



8月23日(土)シンフォニア岩国多目的ホール。午前中会場練習で午後2時から本番。



今回はシンフォニアに預けた20枚のチケットのうち19枚が売れていたので、初めての人も多かったのではと思う。エルガーの「愛のあいさつ」に続いて同じエルガーの晩年の作品「ヴァイオリンとピアノのためのソナタ作品82」。25分くらいかかる大曲だが皆引き込まれるように聴いていた。休憩後はフルートでゴーベールの「ファンタジー」と野田暉行編曲の「五木の子守唄」。日本の曲は聴く方もほっとするようだ。次の外山雄三の「七つの山口民謡」も不協和音がたくさん出てくるのだが、やはり旋律にもリズムにも親しみを感じる人は多かったようだ。美和町の歌もあるので、美和町からいらした方に是非この曲を美和でも。と言われた。ドヴォルザークの「我が母の教え給いし歌」を挟んでいつもの「チゴイネルワイゼン」で終わり、アンコール、フルートの「椰子の実」はみんなで一緒に歌ってもらった。そして最後はヴァイオリンで「カナリア」。



お客様の中にはアメリカ人もちらほら見えた。今回は高校生以下は無料としたので親子連れの方もいた。



陽子は晴香が生まれた2009年までは東京でたびたびリサイタルを開いていた。子育て中となるとなかなか気の張るリサイタルに取り組むのは大変だ。私の場合はドイツ留学中に長男が生まれ、それでも学内演奏会には出演していた。1976年秋に帰国してすぐ翌年2月に次男が生まれ、6月にはもう石井とリサイタルを開いている。私の母は忙しかったので子守りは妹の友達がたまに来てくれるくらいだった。演奏会の本番中は子供を楽屋に寝せておいて祖母が見ていてくれたりした。本番直前にミルクを上げていることもあって譜めくりをその頃やってくれていた人が先日の演奏会に久しぶりに来て懐かしがっていた。そうやって演奏活動を途切れさせることもなく、子育てもやっていた私を陽子も見ていて、母になった陽子は素直に演奏に取り組んでいる。私と大きく違うのは家庭環境がほとんど全く音楽とは関係のない所で練習を確保する難しさだ。これからも大変だとは思う。陽子なりの時間の使い方でやっていくことだろう。



打ち上げはスナック「花城」にて。狭い店内に15名ほどの方が集まって下さり、やがてカラオケで歌う人も出てくる。みんなとても上手。絢香も「散歩」と妖怪ウォッチの中の「妖怪ウォッチ体操第一」でカラオケデビュー!!


陽子と子供たち







8月1日に陽子が子供たちを連れてやってきて、子供たちの夏休みが始まった。
晴香5歳。絢香3歳。
4日にK家が、8日にD家が加わり、子供は小学2年生を筆頭に7人。あいにく天気は雨ばかり。それどころか台風が二つも来て、その間には豪雨もあって親戚の家は床上10センチ浸水、いつも買い物などで通る道は河のようになって、水が引いた後、その道路脇には泥まみれになった家財道具や冷蔵庫などが山のように積み重ねられていた。子供たちはどこへも出かけられず、家の中で7人が大はしゃぎ。それに時々お母さんの叱る声、子供の泣く声が混ざって賑やかさは倍増。
11日には陽子の旦那とお父さんが到着。一緒に回転寿司を食べに行った。
コイワシの天婦羅や山葵菜のしょうゆ漬けがお父さんは気に入ったようだった。
雨が多かったが、ちょっと晴れた日には海に行き、台風が過ぎ去った日には宮島の水族館にも行った。宏樹庵の庭に大きなプールを置き水遊びもした。12日にK家とD家が帰ってしまった後だったが、流しそうめんも出来た。お父さんが双津峡で買ってきてくれた天然アユのお刺身は食べたことのない美味しさだった。天然アユの顔の引き締まって、目の美しいこと!
11日の予定だった宮島の花火大会が台風のため13日に延期になったお蔭で陽子たちはそれも楽しんできた。帰りの満員電車にお父さんは少々お疲れ顔ではあったが。
食事は朝食、最大、卵12個を使った卵焼きとか、夜は玄関先でバーベキューをしたり、ケーキのような巨大オムライスを作ったり。橡の一枚板のテーブルにみんなが座って一斉に「いっただきま~す!」「ごちそうさまでした!」

そうして14日にお父さんたちが帰っていった後は、子供二人残っているのに、何故かとても静かに感じた。

シャアシャアシャアと朝から賑やかに鳴いていたクマゼミにとって代わってツクツクボウシがしきりと鳴くようになっていた。

プール
思い思いの遊び方で

海
由宇の海。はるか向こうに柱島が。

宮島
宮島へ渡る

流しそうめん
流しそうめん

鮎の塩焼き
天然アユの塩焼き。上手く焼けるよう火加減を気にする啓一郎。

鮎お刺身
顔の凛々しいこと。
 

↑このページのトップヘ