2013年04月

 鷺二羽の蓮田に舞ふや風光る

水の張られた蓮田は静かに新緑の山を映している。
そこに白鷺二羽が降り立った、と思いきや、一羽の鷺が飛び上がり、それを真似するかのようにもう一羽の鷺も飛び上った。お互いが交互に飛んだり降りたり、まるでダンスをしているようだった。

宏樹庵の池で蛙が鳴き始めた。
竹林では竹の子がニョキニョキ伸びて、てんぷらにしようかーーと思ったら1本だけ掘ってくる。5分もかからないうちに持って帰る。すぐ食べるときはさほどアク抜きをしなくても大丈夫。柔らかくておいしい。わらびと竹の子を一緒に煮て山椒の葉を散らしてもおいしい。みんな庭のもの。

先日、巨大な一枚板のテーブルが届いた。
4月初め、宏樹庵のいろいろなことをお願いしている大工の久良さんが、こんな板が手に入ったのですが、と大きな橡の板を見せに来た。
家の中に入れるのに、ガラス戸を2枚外さなければ入らないほど大きくて厚い板。
前々から一枚板のテーブルが欲しかった私達は、その板に移動可能にするための車を埋め込んだ脚を取り付けて高さ30センチのテーブルを作ってもらうことにした。
それが完成して4月22日に家の中に運び込まれた。
幅151センチ、長さ211センチ、厚さ6.5センチ。ただし自然木なので長方形ではない。斜めに切ってあるので、もしかしたらこの大木は少し傾いて立っていたのかもしれない。真ん中に亀裂が入っている。二股に分かれようとしていたのか。木目はあちこちでゆらゆら揺らぐような感じで揃っていない。見方によっては様々に見える。
とにかく大きい。
でも、宏樹庵の暖炉の前に置いて不思議と威圧感は無い。
これだけの大木がどこにあったのだろうか。人の入らない山奥だったのか。樹齢は100年は優に超えているだろう。500年くらいかもしれない。これだけの大木を何故切ることになったのだろうか。

でも木は切られても生きている。この宏樹庵全体の木が生きているように、テーブルになった木もここで生き続けるだろう。様々な人の手のぬくもりを感じながら。


一枚板のテーブル


 桜が誰もいなくなった病院跡を見事に埋め尽くしている。

昭和17年に岩国海軍病院としてできたこの病院は、戦前は今より敷地もかなり広く、結核の隔離病棟もあったと聞く。終戦とともに国立岩国病院―国病(こくびょう)と呼ばれて親しまれていた―として県東部地域の中心的な医療活動を担っていた。しかし、老朽化が進み、今年3月末に市内の愛宕山地区に地上10階建て、ヘリポートもある立派な病院を建ててそこに移転した。500以上あるベットの四分の一は個室、最新式の機器も導入して、更に上の医療活動を始めた。以前から同じ敷地内にあった看護学校や宿舎も同時に移転し、宿舎はホテルのようだとか。

病院の引越は徐々に少しずつではなく、3月24日(日)一日で全ての機械と患者さん達を移動させるというので、当日はどんなにかこの辺りの道路が混雑するかと思い、自分の出かける約束を変更したりした。岩国市中の救急車が集まり、道路の信号機ごとにおまわりさんが立って、救急車が来るたびに信号を青にして通したそうだ。
引越の翌日から新病院はもう通常通りの仕事を始めている。
大したものだ。

そんなわけで、この広大な敷地に誰もいなくなった。
広い駐車場にも車が一台も停まっていない。
これから先、ここはどうなるのだろう。


病院正門
病院正門

病棟
病棟

隔離病棟跡

桜のトンネル

菜の花とともに

川べり


 3月30日(土)午前10時から宏樹庵にて宏二郎展が始まった。
宏二郎と藍は28日午前中にここへ来て、絵の展示、パンフレットの印刷、そして庭の竹灯籠などの準備をしてこの日を迎えた。前日のうちに医療センター辺りからここまで6箇所にスタッフ達が矢印の付いた看板を立ててくれた。

昼間はちらほらお客さんがみえた。そのお客さんの一人が早、小さな絵を買ってくださったりした。
午後5時からのオープニングパーティのお誘いを何人かに出したところ、15人ほどと思って算段していたのに25人以上の方が集まってくださってうれしい悲鳴。藤重さんの挨拶に始まり、宏二郎も挨拶し、30分くらいヴァイオリンとピアノの演奏を披露した。
その後、少しの時間、料理の準備をしている間、絵を見ながらの歓談。そして宴が始まると皆さんとてもよく飲まれて、あっという間にビール1ケースが空いてしまってびっくりした。お酒も進み、終わった時は8升無くなっていた。
料理は啓子お手製のソーセージ(また作った!)、サワークラウト、オイルサーディン(コイワシの生きの良いのがここでは手に入るからできること!)などのカナッペ、鮭の冷製、等など、ディナーコンサートの時とは全く違った料理が13種類も並んだ。その中には藤重貞子さんが作ってくださった岩国寿司も並んでいた。どれも好評で、私一人でこれだけ作るのは少々大変だったが、ほっとした。

そして何と、大きな絵「泉」が売れたのだった!!!
買い手は五橋の酒井さん。ほかにもこの絵が欲しいという人はいたのだが、真っ先に手を挙げたのが酒井さんで、彼の物になった。
彼は今、吉香公園の並びに家を新築中で、それはいろいろなお客様を接待するための家だそうだ。屋号を「臨川(泉?)館」と言い、この絵を飾ろうとお考えになったようだ。
この絵は、今年のリサイタルのチラシのために、リサイタルのプログラムの中のシマノフスキー作曲「アルトゥーザの泉」からイメージして宏二郎が描いてくれた。大変美しい絵なので、皆、気に入るだろうとは思っていたが、スポンと売れるとは意外で、またうれしかった。

宏二郎展は4月7日まで続く。
展示してある絵は私のカメラではうまく撮れないので、宏二郎のサイトを見ていただきたい。
そして是非こちらへお運びください。

外は桜が満開です。


宏二郎展始まる
玄関には桃の花が翼を開いて羽ばたくように

宏二郎展玄関



宏二郎展3


宏二郎展4




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