8月20日土曜日午後7時からシンフォニア岩国多目的ホールにて石井啓一郎ファミリーコンサートが開催された。
演奏会のタイトルを「ヴァイオリンとフルートとピアノの夕べ」から「石井啓一郎ファミリーコンサート」に変えてのコンサートだったが、今回がちょうど10回目。
スタッフ達も受け持ちの係りに慣れて、5時半に集合すると持参のおにぎりなどでお腹を少々落ち着かせてすぐにアンケートや演奏会のチラシの折り込みにかかり、受付の準備をする。
6時15分開場。7時開演。
石井啓一郎ヴァイオリン、石井陽子フルート、石井啓子ピアノの3人でエルガーの「愛のあいさつ」を演奏。いつものような暖かい雰囲気のうちにコンサートが始まる。
ブラームスの「ヴァイオリンとピアノのためのソナタ第1番」は30分ほどの大曲。クラシックを聴くのもだいぶ慣れてきた様子のお客様達は真剣に聴き入っていた。
後半は石井陽子のフルート演奏で「カルメン幻想曲」と2つの日本の歌「ふるさと」「夕焼け小焼け」。石井陽子の舞台は若い女性の華やかさがある。大変好評だった。
ヴァイオリンの演奏に戻ってフーバイの「そよ風」、そして最後はいつもの「チゴイネルワイゼン」。
終演後、3人がロビーに立つと、お客様からは「やはりファミリーの演奏は音が違う。」などと口々に感想を述べられていた。



会場前に置かれた看板


受付の様子


演奏した3人


演奏者に花束を贈る小学生


 あたりの空気には蝉の声が充満していた。
そんな中で、ひっそりとうばゆりが花を開いた。

先月見た時のあのムクムクとした勢いはもはや失せ、背丈もそれほど伸びないで、たった一つの花をつけ、それが私の帰りを待っていたかのように、宏樹庵に帰って2日目の朝、開いた。静かに咲いた。
このたびは3日間の滞在だったので、最後を見届けることができなかったが、あと何日くらい咲いているのだろうか。そばのもう一つの株の蕾も咲きそうだ。
葉はそんなに痛んでいない。しかし、命の終わりを知っているかのような姿だ。
よくぞ私の帰りを待っていてくれたものだ!

今年は梅雨が平年よりずいぶんと早く明け、7月初めから暑い日が続いた。それが20日頃からちょっと一段落して少ししのぎ易くなった。
私が帰ってきた翌日の朝は、早朝からひどい雷雨で、岩国市内でも落雷による火災や、土砂崩れで山陽道通行止め、山陽本線も午前中不通になったほどだった。
でも雨のお陰で朝晩は涼しい。

父が亡くなって1年経ったのでお墓参りに行った。
対向車が来ないようにと祈りながら、のろのろと山道を走る。
幸い誰にも会わなかった。まわりの林の蝉時雨をあびながら、草取りをし、水をかけた。
母も元気で、個展などもやりたいという気力もまだ残っていることを報告して帰った。

   墓参り蝉の声ほか音は無し



宏樹庵の入り口に咲いたうばゆり


   うばゆりを井戸守として武家屋敷   紅樹

この句が頭にあったので「うばゆり」は「乳母百合」だとなんとなく思っていて、何か仏に近い存在のように感じていた。
星野村という美しい村に住んでいる山本源太さんという詩人で陶器なども作っている人のお宅に伺った時、広い庭のあちこちにうばゆりが咲いていて、石井が宏樹庵に植えたいと言ったら、その後、彼は本当に苗6株と種を送ってくれた。私は大喜びで宏樹庵のあちこちに植えた。ところが、なかなか根付かなくて、青々した葉が出てきたと思っていたら、いつの間にか無くなっていたり、やはり土が合わないのかとがっかりした。ただ一箇所、小径の入り口近くに植えた2株だけはどうにか育つ様子だった。
それが今回、6月20日に帰ってみると、ロケットのような蕾をつけているではないか!
それは見ている間にもぐんぐん上に伸びそうな勢いだ。
うばゆりは、種から芽生えて6~8年してやっと花が咲き、花が咲き終わると枯れてしまうという一生に一度の花の時期を持っている。ということは、源太さんの送ってくれたのは苗ではなくて4年ほど経ったものだったのだろうか。
うばゆりの名前の由来は、花が咲く頃にはもう葉がぼろぼろになって、葉(歯)のない姥のようだからということを今回初めて知った。乳母百合と思っていた私にはちょっと意外だった。長い間子供を育てて、子供が成人したら自分は身を引くという風に思っていた。井戸守をするにも、すっくと立った姿に、何か威厳がありそうだ。
7月に帰ってくるまでに咲いてしまったら残念だ。もし咲いてしまっても、次の世代のうばゆりが是非育ってほしい。

今回はもう一つ、私が仏に近いと感じている夏椿の花も満開だった。沙羅の花とも言う。まんまるな蕾がぽっと開くと、真っ白い花は黄色い蕊を抱いている手のひらのようで、神々しいほどだ。

  うちしきてあしたの沙羅のよごれなし   長谷川素逝

うばゆり


夏椿


↑このページのトップヘ