私は子供の頃、よく空を飛ぶ夢を見た。
何も持たないで、息を整えればいつでも上手に飛べた。高くも低くも飛べた。羽はないけれどピーターパンのように飛んだ。
大人になってからは飛行機を自分で操縦してみたいと思っていた。
昨年暮、酒井酒造の記念館「臨川館」のお披露目があった時、自衛隊岩国基地の司令官も一緒だった。何の話からそうなったのか覚えていない。とにかく、それではヘリコプターに乗せてあげましょうということになった。

1月7日午前中、岩国市の海上自衛隊岩国基地で初訓練飛行があり、救難飛行艇による救助訓練などが行われた。
訓練に先立って格納庫の前で式典があり、暮にお会いした司令官の訓示などがあった。約700人が寒い風が吹く中、整列していた。
槙本県会議員とお琴の先生と石井と私の4人は導かれて隊員と一緒にヘリコプターに乗り込んだ。3台のヘリコプターが連隊を組んで飛んだ。
お天気はとてもよく、全然揺れなかった。兜島がよく見えた。あちこちであがっている煙突の煙を見て、岩国周辺は結構工業地帯なのだなとも思った。観光ではないので島めぐりとはならなかったが、1時間ほどぐるぐると飛び、そして降りた。

ヘリコプターのほかに格好いい飛行機がいろいろあった。
が、話を聞くとそれらは皆軍用機でそれぞれ危険な任務を負っている。身が引き締まった。




左から3人目から私、お琴の先生、石井、槙本さん






私達の後ろから付いてくるヘリコプター






 

地元の人達は国立岩国病院のことを「国病」と呼んでいた。バス停も「国病前」、踏み切りも「国病踏切」・・・
昨年3月24日に新しく愛宕山に出来た病院に移転し、ここには空っぽになった建物が残されていた。その後解体工事が始まり、病院、研修会館、体育館、看護学校、病院に勤務する人達の家、保育園などすべてが取り壊されて今、整地が進んでいる。これだけの大工事でも岩国が潤うわけではなく、残念ながら入っていたのは広島の企業だった。
毎年桜の季節になると、こんなにも桜の木が多かったのかとびっくりするくらい満開の桜が見事だった。これは残してほしかった。しかし非情にも数本の木を残してあとはすべて切られて掘り返され無くなった。

跡地を何に使うのか誰も知らない。




大きな銀杏の樹も切られてしまった


1年前の病院の建物
 

昨年12月24日、東京文化会館小ホールにて石井啓子アンサンブルシリ-ズが開催された。
今回25回目。始めてから四半世紀に及ぶと思うと感慨が深い。
また今回は9月の準備段階から妹の病状が悪化し、私は鹿児島の病院に付きっ切りで、地元の音楽教室の先生のご好意で夜部屋をお借りして練習させていただいたが充分な時間はなく、切羽詰った状態で迎えた演奏会だった。
林光氏が昨年急逝され、それを悼む意味で前半はピアノ五重奏曲「ラッキードラゴン・クインテット」、ヴァイオリンとピアノのためのラプソディ、フルートとピアノのためのソナタというプログラムだった。ヴァイオリンに石突美奈、フルートに陽子を起用し、若い人たちはとても頑張ってくれた。特に陽子は難しいリズムの曲を見事に暗譜で吹ききり、盛大な拍手を浴びた。
プログラムには「dem Andenken eines Engels M.Y.」という横文字を入れさせてもらった。ある天使の思い出という意味で、M.Y.は妹米本路子のイニシャル。天使というには少し大きくなりすぎたが、心は天使のようであった。林光と共に妹の追悼の演奏会となった。
後半はドヴォルザークのピアノ五重奏曲。美しく、ろうろうとしたチェロの歌で始まるこの曲は、私の好きな曲の一つだ。風になった妹も聞いていてくれるだろうと心を込めて演奏した。
今、この演奏会のライブ録音のCDの販売注文を受け付けている。ご希望の方は啓&啓倶楽部のメールアドレスまでご連絡ください。

kayishii0410@ybb.ne.jp    (2枚組3000えん)

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