来年の春からは畑で作ったものを基本的には食べる。
ほうれん草、小松菜、きゅうり、トマトなどはもちろんだが、こういうものは誰でも作っているので収穫が重なる。みんなが作っていないものも作ってみよう。それで、まずにんにくを植えた。
うちではにんにくをよく使う。カレーにする時など5個くらい入れる。秀太郎もイタリア料理を作るので必要だ。上手にできたら送ってあげよう。スタッフの一人が巨大にんにくをくれた。丸ごと焼いて食べたらホクホクしてとてもおいしかった。それを植えた。9月18日。今回10月12日に帰ってきて見ると、みんな芽を出して風に揺れていた。
そのそばに、サラダにするいろいろ混ざった菜っ葉の種を蒔いた。蒔いて2日後ちょうど雨が降った。来月には芽が出ているだろう。
みかんの木は道路拡張工事のためにほとんど無くなって、たった1本残っていた木も枯れてしまったのでうちにはもう無い。たくさん実った年には実家だけでなく、叔父叔母みんなの家に送ったものだったが、淋しくなった。スタッフの何人かは広い畑に何本も植えているので、その一人のみかん畑に収穫に行った。ここには15本余りもあるだろうか。遠くに山を望み、下の方は海に通じる高台の畑。みかんは美しく色づいていた。みかん作りを本職とはしていないので、忙しくて手が回らず摘果していない。だからみかんは枝にくっつきあうように生っている。2箱の段ボール箱はすぐにいっぱいになった。
みかん畑のすぐ下の段には栗の木があって栗がいっぱい落ちていた。それも拾った。丸々と太っていて、5センチほどもある栗もあった。
その近くに瓜のお化けのようなものがころがっていた。何だと聞くとトウガンだと言う。白い粉を吹いていてとてもトウガンとは思えないものだったが、持って帰って洗ったら、あのトウガンの緑色になった。
そのスタッフはちょうど稲刈りを終えたところで、私達の食べる分だけ精米してきてくれた。
これらを全部つめて小平に送った。
小平への荷物は最後になるだろうか。
来年からは上京する時、陽子たちへのお土産は野菜となるかもしれない。



元気に芽を出したにんにく達


鈴なりになったみかん


 お彼岸にはまだ10日ほど早かったがお墓参りに行った。
夏のあの、どこの空気を切り取っても蝉の声がつまっているような賑やかさは既になく、遠くでつくつく法師が知らぬ間に秋も深まっていることを告げていた。
その他は何の音も無い。空が高かった。
車を降りて登る急な坂道には、どんぐりが転げ落ちそうにたくさん落ちていた。

草取りをし、墓石を洗い、線香を手向ける。
墓石を洗う時、父は暑がりだったのでいつも水をザブザブとかけていたが、ある人に顔を上に向けて眠っているのだから上から水をかけてはいけないと教えられ、一番上は手でぬぐった。石はかなり熱くなっていた。
眼前には海が拡がっている。
来年、米軍の基地が民間に解放され、全日空が一日4便飛ぶことになっている。
二井知事は沖縄の普天間基地の件が解決しなければ艦載機来岩はその先のことと言っているので来年秋の開通は流動的。開通されれば来年から岩国市民となる我々にとって誠に便利になるのだが痛し痒しだ。

秀太郎が長年付き合ってきた人と正式に籍を一緒にすることにしたと言う。
お盆のお墓参りや、仏前のお花を欠かさないなど、気を配れる人のようだ。
彼らがずっと、一緒にいて良かったと思える家庭を築くことができますようにと墓に祈った。

夕暮れて、中秋の美しい満月が昇った。


お墓
いつも海を見ているお墓

海
目の前に拡がる瀬戸内海 基地が見える


 9月9日午後6時半から宇部の渡辺翁記念会館において「石井啓一郎が奏でる珠玉のヴァイオリン名曲集」と題された演奏会が開催された。
これは今年市制90周年を迎えた宇部市が企画した、日本フィルハーモニー交響楽団宇部公演(宇部興産主催)に向けてのいくつかのクラシックの演奏会の一環で、好楽協会の玉井保生氏のお話しも交えながらの演奏会だった。
6月頃から本格的に企画について市とやり取りをしていたが、8月に入るまではほとんど公にされなかったのでお客さんが集まるのだろうかと心配していた。8月になって1000枚の整理券が出て、最終的には1400枚が配られたそうだ。しかし、無料の整理券なので当日始まってみるまでは気がかりだった。記念会館は客席1300余り。幕を開けてみるとなんと1000人ほどのお客さんが入っていた。
ブラームスのヴァイオリンとピアノのためのソナタ第1番を始め、主にウィニアフスキーやクライスラーなどヴァイオリニストが書いた名曲の数々を披露。お客さんの反応は非常に良かった。

この渡辺翁記念会館は、宇部で生まれ、ひたすら郷土のためにつくした宇部興産初代の社長、渡辺祐策氏の死後、彼の業績を讃えて造られたもので、村野藤吾氏の設計による。昭和12年に完成し、戦争中も壊されず残ったので、戦後すぐ、まだ日本には音楽ホールが無かった時代で、海外から来た名演奏家たち、メニューイン、コルトー、シゲティなど歴史に残る人たちがここで演奏し、市民に感動を与えた。
その蔭には宇部興産副社長、俵田寛夫氏の功績も大きい。
彼は宇部好楽協会をつくり、海外の著名な演奏家を招聘することに力をそそいだ。立派なホールがあるので演奏家たちは来てくれるのだが、当時はホテルがなく、彼は私財を投じて来日した演奏家たちの宿泊に自宅を開放した。
市民の給料はまだ本当に低い時代だったが、他に楽しみも少なかったこともあって演奏会には家族で出かけていく習慣がついた。石井啓一郎もそんな中で育ったのだった。

平成17年には国の重要文化財に指定されている。
正面玄関外観の重厚な趣き、またロビー内の丸い柱は本物の大理石、床も市松模様のテラゾータイル。こんなに立派なものは現在ではもう造ることはできないだろう。ホールの残響時間も丁度良く、宇部市民は本当に誇りにしていい。
すでに74年の歳月を経ているので維持管理は大変かもしれないが、是非長く現役のホールとして残したい。


宇部の演奏会
演奏会のポスター

渡辺翁記念会館
渡辺翁記念会館


↑このページのトップヘ