1月13日啓&啓倶楽部のスタッフ達が集まりディナーコンサートの案内状の発送作業をして、いよいよ今年のディナーコンサートの準備が始まった。
コンサートは2月27日(日)午後4時開場 5時開演 6時開宴。今回で9回目。
一年で一番寒い時期に、竹を切りに行き竹の器などをいくつも作り、料理の材料を集めて下ごしらえから仕上げの盛り付けまでいっさいをスタッフの手で行う。過去には大雪の中テントを張って竹を切ったりしたこともあった。
料理長は藤重貞子さん。岩国寿司(1回で3升のお米を炊き豪快に作られる押し寿司)・大平(大きな平らな鍋で作るのでこの名前があるそうだが、汁入りの筑前煮のような料理)・蓮のお三杯(この辺りの人たちはこう呼ぶ。おせち料理の酢蓮だが、藤重さんの手にかかると新鮮な蒼魚の酢〆のおだしがよく効いて、生姜とにんにくとの相性も良く絶妙な味の一品となる)をメインに10余りの料理が所狭しと並べられる。30人のお客様とスタッフの分も合わせると40人分ほどを作るので藤重さんの家の台所はあたかも戦場のようになる。
藤重貞子さんはふだんは民生委員をやっていて、それも長いこと、刑務所から出所した人、少年院へ行くような人、学校関係、病気の人など様々な社会の底辺にいる人たちの面倒を見てきたことが評価され、昨年春の叙勲の折に受賞して皇居での授賞式に臨んだ。玄関は常に開放されていて、いつでも誰でも駆け込んで良いということなのだろう。
藤重さんがソレーッと声をかけると、ハーィと集まって来る人たちが10人ほどいる。みんなこの近所の人たち。年齢はまちまちだが、概してこの辺りには若い人は住んでいないので、60歳プラスマイナス10歳くらいだと思う。その人たちとは卓球でもつながっている。藤重さんは若い頃、ハンドボールや卓球の選手として鍛えた体を持っているのだ。
しかし、そうは言っても今回9回目。10回、12回と続けていくうちには歳を取ってくる。いつまでも頑張ってほしいけれど、同時に後継者も育てていかなければと思う。

今回の演奏の方のプログラムはブラームスやベートーヴェンのヴァイオリンソナタも並び、聴き応えがあると思う。
申し込みを受け付け始めて3日目。現在5名の参加者。

16日朝、この冬一番の寒気が来て、庭は真っ白。池の水も凍った。


凍った池


 父の納骨の儀を執り行った日、宏樹庵に集まってくださった方々に出石から取り寄せた蕎麦をふるまった。
出石は但馬の小京都とも言われる兵庫県北部の古い街で、温泉で知られる城崎と天橋立との中間くらいに位置する。昔はお城があり、お殿様が信州から蕎麦を持ち込み皿そばが有名になった。今は豊岡市に合併された。豊岡市は私たちが子供たちのまだ小さい頃から毎年演奏会で訪れ、またみんなで毎年夏休みになると山口県の祖父母のところに帰る途中に寄ったりしていたので、私たちにとっては第二の故郷のような所。出石にもよく足を伸ばしてお蕎麦をいただき、食べた皿を積み重ねて、お店に張り出してある「横綱」の高さと比べてみて凄いなあと感心したものだった。
それ程懐かしい土地柄なのだが、母の書の師匠である仲田光成先生(1899~2003)が亡くなられた後、先生の故郷 竹野町に先生の記念館が建てられた。竹野町は城崎より少し先の日本海側に位置するが、今は豊岡市になった。思いがけない事だったが、私たちにとって懐かしい所に、母はたびたび書展などの仕事で訪れるようになった。
そんな訳で、納骨の折に出石の蕎麦を取り寄せたのだったが、その時言われたのは、この辺りではうどん文化が盛んで蕎麦はあまりないとの事。そういえば讃岐うどんなどのうどん屋さんやラーメン屋さんはあってもお蕎麦屋さんは見かけない。

でも酒好きにはやはり蕎麦だと思う。
時代劇には蕎麦を食べる場面が多い。
知り合いのK氏によると、江戸では魚介類を使った寿司が発展し、豊富な魚介の種類そして調理法が編み出されたが、蕎麦の組み合わせとしては海老や穴子の天ぷらくらいで非常にシンプルだった。それは一つに、蕎麦は庶民の食べ物で安く早く食べるものだったからと言う。
勝臨太郎の見初めた女の人が、勝が蕎麦を食べたいと申し出ると即座に蕎麦を打って出す。あれがやってみたい。
一応、宏樹庵には蕎麦打ちの道具は揃えてあって本も買った。でも本を見ながらやってみてもなかなかうまくいかない。2011年は一年間で蕎麦打ちをマスターして、宏樹庵に住むようになったら、一人で蕎麦が打てるようになりたい。
蕎麦好きの人、この指止まれ!



宏樹庵にある蕎麦打ちの道具


 宏二郎展が横浜市青葉区のたまプラーザで11月25日から12月1日まで開かれている。
毎年秋に開催されるここでの個展は今回で5回目。
青い色を主調にした夜明けの湖の絵を中心に、いつもの影、空の絵など24点が並んでいる。知り合いの人たちのほかに、ここはデパートなので買い物に来た人がふらりと立ち寄ったり、このギャラリーにいつも来る人が来たり、人数は少ないが、来た人の中には、何かがその人の琴線に触れたのか、涙まで見せる人もいたとか。世の中の喧騒をよそに、ここの空間だけは静まり返っている。

宏二郎は最近悩んでいる。
生活のためには絵が売れなければならないし、売れる絵と自分が本当に描きたい絵とは必ずしも一致しないと思う。
いつまでも親の援助のもとでは描きたくないともずっと思っていたらしい。
ついに、この12月初めに独立することになった。
東京小平の今の家の近くではあるが、一軒家を借りて自立すると言う。働いて稼ぐ当てはまだ見つかっていない。蓄えもあまり無い中で見切り発車的に決めた。
死ぬようなことはないだろうが、自分が本当に描きたい絵を描いてほしいと願っている親としては少々不安。でも口出しはすまい。

枇杷の花がたくさん咲いている。
花としては特に美しくはないが、この花は自分がやがておいしい実になることを知っているのだろう。目立たないのに、何か自信ありげだ。
宏二郎も今はこの花のように目立たないが、いつの日か枇杷の実のようにたくさん熟れて、みんなを喜ばすことができますように。

    わが刻を今日はわが持つ枇杷の花




枇杷の花





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