7月27日、夕食時に孫6人全員が宏樹庵に揃った。
秀太郎の所に琴子、智比呂、宏二郎の所は一青、陽子には晴香、絢香、ほのか。何と、智比呂と一青とほのかは同じ学年。今は成長に差があるが、今後それぞれはどう成長するのだろうか。いつまでも仲の良い従妹であってほしい。
秀太郎一家は一晩泊まっただけで帰ったが、宏二郎一家は7月31日まで滞在。バーベキューをしたり、海へ行ったりして夏を満喫。
8月に入ってからは陽子一家だけになり、練習もあったのであまり遊べなかったが、21日に和歌子親子が来て、子供6人になった。
24日にはドイツから友人が7歳の女の子を連れてやって来た。この女の子は普段ドイツ語ばかりなのだが、日本人の父親は日本語も覚えさせたいと、昨年に続いて2度目の来訪。女の子は6人の子供たちと一緒に走り回って遊んでいた。今回初めて石井と二人で作った流しそうめんの竹。仕上げにいつもやってくれていたH氏の手も借りたが、うまくいってドイツ人の女の子も上手に箸を使っていた。来年は泊りがけで来ると約束し、大満足で帰って行った。26日は岩国市はずれにある大きなプールへ、27日は吉香公園でロープウェイに乗ったり、大噴水の所で水遊びをしたり、そして28日全員一緒に新幹線で東京へ帰った。

ほかの蝉はとうに鳴かなくなっているのにつくつく法師だけが夏の終わりを告げるように鳴き、それも31日にはすっかり涼しくなって静かになった。
9月1日、みんな揃って元気に2学期を迎えることだろう。

夕顔の白が美しい。
今年は残暑がないらしい。
ほのか6か月
ほのか6か月。摺り這いをして欲しい物のところにはどんどん行くが、最近こんな恰好をして四つん這いで歩きそう。
流しそうめん2015
流しそうめん
先頭と最後の子と背後にいる子が和歌子の子供たち
夕顔
夕顔

8月22日(土)午後2時よりシンフォニア岩国多目的ホールにて恒例の石井啓一郎ファミリーコンサートが開催された。
出演は石井啓一郎、石井啓子、石井陽子の親子3人。
昨年8月にやはり3人で演奏会に臨んだ時、陽子はお腹に子供を宿していることに気が付いていなかった。演奏会が終わってからそれがわかり、その後2月の出産まで大変だったのでしばらくフルートはお休みしていた。不思議なくらい無事に女の子が生まれてきて、今回の演奏会で演奏活動を再開。この演奏会の後、秋から冬にかけて陽子も出演する演奏会がいくつかあるので、子育てをしながら練習にも励まなければならない。
3人の演奏によるエルガーの愛の挨拶に始まって、30分の大曲フランクのヴァイオリンとピアノのためのソナタ、後半はフーバイのヴァイオリンのための小品2曲に続いてフルートでエネスコのカンタービレとプレスト。3人でドップラーのアメリカ民謡によるデュエット、そして最後はいつものチゴイネルワイゼン。チゴイネルワイゼンは毎回演奏するがアンケートではいつも良かった曲のナンバーワン。皆が大好きな曲の一つだ。ところが今回はハプニングがあった。チゴイネルワイゼンの、もう少しで終わりになる所で弦が切れた。弓の毛が何本か切れることはあっても弦が切れてしまっては演奏を続けることは出来ない。仕方なく退場して新しい弦を張ってからもう一度チゴイネルワイゼンのテンポが早くなる所から弾きなおした。演奏会の前には弦の状態など点検するのだが、こういう事もたまにある。お客様にとっては新しい体験だっただろう。
全体としては「ファミリーならではの暖かい雰囲気」と好評だった。

翌23日(日)の午後2時からは岩国市美和町のハーモニーみわにて演奏会。
市の中心部から山を越えて車で1時間ほどの美しい里山美和。そこで開業以来60年という歯医者さんが主催する演奏会だった。
ホールは400席ほどある立派なものなのにほとんど使われていないようで、クラシックの演奏会はもちろん初めてとのことだった。
でも大勢集まって下さったお客様はとても静かに聴いて下さって、拍手の仕方などはわからなかったようだが、引き込まれている雰囲気が演奏する側にも伝わった。石井親子の演奏のほかに、美和町出身のソプラノ歌手も共演して拍手喝さいを浴びた。彼女はイタリアでも勉強したことのある二期会会員だが、難しい日本歌曲を情緒たっぷりに歌いあげた。

ファミリーコンサート
シンフォニア岩国での演奏
ファミリーコンサート2015楽屋
終演後、楽屋にて

瀬戸内海は8世紀頃から九州と畿内を結ぶ重要な航路だった。加えて大陸文化の流入においても需要な交通路となった。江戸時代になるとますます船の往来は頻繁になり北前船などの「風待ち港」「潮待ち港」が各地で活況を呈した。
大崎上島でも廻船問屋がいくつも立ち並び、山が海に迫っていて平らな土地が少ないので木造でも3階建て、中には5階建ての建物を作って、今でもそれは残っている。江戸時代には小早川水軍が活躍した場所でもある。造船業も盛んで、日本有数の大型木造船の製造技術を持っていた。明治になってから商船専門学校が出来、今も国立の商船学校として学生を集めている。
しかし、こうした賑わいも明治20年の山陽鉄道の開通によって陸上交通に移行してから次第に無くなり、今の島には昔の面影はあちこちに残ってはいるものの、静かな、多島美に癒される島となっている。

その大崎上島へ1年半ぶりに出かけた。
山陽道岩国から車を走らせること1時間ほどで河内に、そこで高速を降りて竹原へ、竹原港からフェリーで大崎上島に渡る。
大崎下島には本州側から島伝いに橋がかけられているのに、この島だけはフェリーでしか行けない。
フェリーで行く途中、変な島があった。
聞くところによると、それは契島という島で、島全体が鉛工場でその社員しか上陸できないとのこと。日本の鉛のほとんどをそこで製造しているそうだが、機械のような物がひしめき合って建っており不気味な感じだった。
フェリーが到着した港の島の裏側にホテルはあった。
眼の前に瀬戸内海が拡がり、手前の島の間から見える向こう側は愛媛の今治あたり。晴れていたら1000メートル級の楢原山などが見えただろうに… 東京の方が早く梅雨明けしたのが羨ましい。露天風呂は海のすぐ上にあり、眺めは抜群!朝焼けを映した湯面も美しかった。

翌日、醤油醸造所を訪れた。
今は少なくなった木桶を使って、またクーラーを使わず天然の環境の中で作っている所。
アットホームな工場(?)で、見学したいのですが、と言うと2,3人しかいないうちの一人が出て来て丁寧に説明してくれた。
広島県産の大豆と小麦、香川県産の塩が原料で、夏場は麹の発酵に向かないので11月から4月のうちに作り、今は寝かせて熟成させているところだそうだ。木桶は200年使えると聞いてびっくり。五橋の酒井さんも木桶で酒を造ろうというスタンスで、木桶の会が東京であった時お会いしましたとその人は言っていた。

蝉は鳴きはじめたが、まだじめじめと雨が降ったり止んだり。
庭のブルーベリーが鈴なりで晴香たちが来たら食べられるだろう。

契島
契島
大崎上島へ
海水浴場
ホテルのすぐ下には海水浴場もあった。
大きな船
近くをこんな大きな船が通る。きっと海は深いのだろう。
ここは島めぐりの船や漁船、造船に使うのかとても重そうな部品を曳航する船など様々な船が通った。
朝焼けの露天風呂
湯面に朝焼けが映る露天風呂
日ノ出
日の出は5時22分
醤油作り
木桶が22個並ぶ。いい香りが満ちていた。
説明してくれた醤油作り
丁寧に説明をしてくれた工場の人。自然が相手だとさぞ大変だと思うが愛情が感じられた。

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