12月18日と19日の一泊二日。それはお天気に大変恵まれた旅だった。



岩国のインターから高速道路に入ったのが朝10時頃。1時頃、新岡山港に着くとフェリーはたった今出港したばかりだった。50分程ゆっくり待っていざ小豆島へ。70分の航海は大変穏やかだった。宿は小豆島の土庄(とのしょう)港からあまり遠くなく、窓のすぐ下に海が広がっている。調べると5時に日の入りとの事で、のんびりとお風呂に入ったりしながら待つ。露天風呂からの景色も抜群なのがわかって4時半ごろまた今度はi Padを持って入る。水平線辺りに雲があったが沈んでゆく夕陽は美しかった。急いで部屋に戻り、その続きを撮る。夕焼雲が放射線状に拡がり、鏡のような海に光が映る。雲の隙間から最後の光を放って陽は沈んだ。



翌日は朝9時前に宿を出発。まず寒霞渓へ。ロープウェイに乗る。小豆島へ来てみるまで、この島が元は火山で、こんなに雄大な紅葉の渓谷があるとは知らなかった。10月紅葉の頃はそれはそれは素晴らしいだろうなと想像できるほど、今も十分に圧倒されるような素晴らしい眺めだった。山には岩がそそり立ち、谷は広がって海へと下っていく。穏やかな海には島がいくつも浮かび、水平線を遮っている。かなりの急こう配をロープウェイは降り、そして戻ってきた。帰りのロープウェイから山の端に丁度半分に欠けた月がかかっているのを見つけた。



そこから山を下り、岬の先端にある二十四の瞳のモデルになった分教場を見学。3つしかない教室には昔のまま絵が展示されていたり、オルガンや小さなピアノが置かれていて、子供達の声が聞こえてきそうだった。 分教場 陽だまりに子ら 声残し



道の駅でお目当てのオリーブオイルを手に入れた後、土庄港から今度は高松に渡った。こちらのフェリーは60分ほど。高松市があまりに大きな都会なのでびっくりしたが、何とか手打ちうどんの店を見つけて鍋焼きうどんをいただく。味噌仕立てで、人参や大根やいろいろなものが入っていて美味しかった。そこから瀬戸大橋を渡る。途中、与島のPAで降りて、海の上を渡る大橋を見上げた。連なる橋げたと海との調和が美しかった。



夜ご飯も途中で食べて、家に帰ったのは夜6時半頃になったが、最後まで晴れていて良かった。大満足。



 



新岡山港からのフェリー



新岡山港から出るフェリー。全長66メートルあり甲板のお客さんも合わせると500人乗船可能とか。



行き交うフェリー



行き交うフェリー



近づく小豆島



小豆島に近づく



露天風呂からの夕陽



露天風呂から眺めた夕陽。お風呂のお湯にも夕陽の光が。



部屋からの落日



部屋からの落日



寒霞渓



寒霞渓



ロープウェイ



ロープウェイからの眺め



ロープウェイからの眺め



紅葉の頃はさぞ美しいのだろうな



半月



山の端に月が出ているのに気づく



岬の分教場



岬の分教場 よく保存されていると感心



教室内部



教室にはピアノもあった



高松港



高松港に近づく



鍋焼きうどん



鍋焼きうどん



瀬戸大橋



与島から見る瀬戸大橋



12月5日(月)午後3時 東京文化会館小ホールにてアンサンブルシリーズの会場練習が始まった。



トゥリーナのピアノトリオ第1楽章のテンポの変化の確認、第2楽章は8分の5拍子なのだが今一つ呼吸が合わず3回目でようやくすっきり。久しぶりのデュオだった陽子は珍しく緊張してか第3楽章の途中、入ってくる所を間違えたり…ラヴェルのピアノトリオは客席で聴いていたステージマネージャーその他の人達がピアノの音が大きすぎて弦楽器の音が全然聴こえないと言い、演奏者の位置を変えたりピアノの音をコントロールしたり。ピアノがフルコンサートピアノだし、音はものすごく広い音域にまたがっているし、音の数も多いから余程のコントロールが要る。特に弾いてみたかった曲なのに上手くいかなかったらどうしよう…  会場練習は通常5時で切り上げるのだが、6時までかかってしまい胃が少し痛かった。



 



7時開演。覚悟を決めて舞台に。



トゥリーナの夜明け、ピアノトリオと進むうちに少し落ち着いてきた。プーランクのフルートソナタは陽子に寄り添って弾けばうまくいくと思っていた。案の定、会場練習の時と違って陽子は陽子ワールドを拡げていく。第3楽章、少し速いかなと思ったがミスもなく終えた。後半はラヴェル。ハバネラ形式の小品を石突美奈ちゃんと。そして最後にピアノトリオ。難しい和音でのメロディラインも滑らかに歌えて、まあまあかなと。



拍手は多かった。お客様もお蔭様で400人ほど入っていた。



アンコールの亡き王女のためのパヴァーヌと、やっとほっとする曲、クロンケの2匹(?)の蝶々ではブラボーが出た。



この会も27回目。2013年に25回を終えて翌年番外編で開催した2014年からは桜庭茂樹氏という強力な共演者を得て、このアンサンブルシリーズも一つ上のランクに位置付けられるようになった。そして陽子との共演もお客様が楽しみにしているようだ。



 



これからもどうぞよろしくお願いします。



 



トゥリーナ



ピアノとヴァイオリンとチェロのための幻想曲「環」より



夜明け



石井啓子 石井啓一郎 桜庭茂樹



 



トゥリーナ



ピアノとヴァイオリンとチェロのための三重奏曲第2番 作品76



Lento Allegro molto moderato



Molto vivace



Lento Andante mosso



石井啓子 石突美奈 桜庭茂樹



 



プーランク



フルートとピアノのためのソナタ



Allegro malinconico



Cantilena



Presto giocoso



石井陽子 石井啓子



 



kk 休憩 kk



 



ラヴェル



ハバネラ形式の小品



石突美奈 石井啓子



 



ラヴェル



ピアノとヴァイオリンとチェロのための三重奏曲



Modere



Pantoum  Assez vif



Passacaille



Final  Anime



石井啓子 石井啓一郎 桜庭茂樹



 



アンコール



ラヴェル



亡き王女のためのパヴァーヌ



石井啓子 石井啓一郎 桜庭茂樹



 



クロンケ



2匹の蝶々



石井啓子 石井陽子 石突美奈



 



娘たちと



娘たちと。最後のアンコールは女ばかりで演奏。それも華やかでいいねとの評判だった。



 



ヨーロッパ列強の国々はそれぞれが世界各地を植民地化し、列強同士複雑な同盟、対立関係にあり、摩擦が強くなってきた。19146月のサラエボ事件をきっかけについにドイツ・オスマン帝国・ロシアからなる同盟国と、イギリス・フランスなどを中心とする連合軍に分かれて戦争が始まる。初めての世界大戦だった。フランス人のラヴェルは同志が次々に参戦していくのを見て愛国心に燃え、書き始めたピアノ三重奏曲を通常なら5か月かかるところを5週間で書き上げ、パイロットに志願する。しかし、39歳という年齢と余りに痩せていた(45キロしかなかった)ことから兵役は拒否される。しかし彼は従軍への思いを捨てきれず負傷兵を運ぶジープの運転手として激戦地ヴェルダンに赴く。が、まもなく赤痢にかかってパリに送還された。



このピアノ三重奏曲については、戦争に行くことになりもはや生きては帰れないかもしれないと覚悟を決めて書かれた曲なので「遺言状」と捉える説がある。しかし、戦争というものは始めた者たちは自分が負けるとは思わないものらしい。フランス兵は高らかに「ラ・マルセイユ」を歌って戦場に出かけて行ったと言う。ラヴェルも多分自分が死ぬという凄惨な覚悟を決めて戦地に赴いたのではなかったのではなかろうか。



この戦争は結果的には悪条件が重なり長期戦となって、世界中におびただしい数の死者を出し被害も甚大なものとなってしまう。



これによってヨーロッパの君主制は崩壊し、ブルジョア階級は衰退して今まで思いつきもしなかったような形式の市民のための自由な芸術が多く芽吹いてくる。



トゥリーナは1882年にスペインアンダルシアのセビリャで生まれる。セビリャはアンダルシアの中心都市で数々の名作オペラの舞台としてクラシック界でもお馴染みの街である。初めマドリード音楽院で学ぶが1905年にパリに渡りスコラカントルムで作曲、ピアノを学ぶ。そこでドビュッシーやラヴェル等とも知遇を得るがアルベニスやファリャからスペイン民謡やアンダルシアに根差した音楽を確立することがセビリャ人としての使命と助言を受け1913年スコラカントルムを卒業後1914年にファリャと共に帰国する。その後、作曲家、教師としてスペインのアルベニス、グラナドス、ファリャに続く功績を遺す。



今回演奏する作曲家のうち一番若いプーランクは1899年パリ生まれ。裕福な家庭で母にピアノの手ほどきを受け、1914年からはスペイン出身の名ピアニストでラヴェルの作品を多く初演したリカルド・ビニェスにピアノを師事する。ビニェスの紹介で後のフランス6人組のメンバー、ジョルジュ・オーリックやサティらと出会う。ラヴェルにも会っている。



 



lピアノとヴァイオリンとチェロのための幻想曲「環」より「夜明け」



トゥリーナ(18821949



トゥリーナはピアノとヴァイオリンとチェロのための曲を3曲書いている。第1番は1926年、これによって国民音楽賞を受賞した。第2番は1933年、そして「環」は1936年に書かれた。スペインの語法を用いながら印象主義的な雰囲気、色彩を持つ曲となっている。この曲も夜明け前の静寂の中から徐々に夜が白み始め陽が昇ってくる美しい情景が感じられる。



 



lピアノ三重奏曲第2番 作品76



トゥリーナ



第1楽章 静かな序奏の後優雅な旋律が始まる。ゆっくりした部分でチェロが歌い始める歌は美しい。



第2楽章 8分の5拍子のスケルツォ。1楽章を思い出させるような中間部がある。



第3楽章 序奏の後に始まるのは決然としたメロディ。1楽章のフレーズを時々取り込んで、最後は初めの決然としたメロディをピアノが8分の3、弦が8分の2の拍子で奏で長調になって終わる。



 



lフルートとピアノのためのソナタ



プーランク(18991963



プーランクは自分の音楽観を決定したのはシャブリエとサティ、ラヴェル、ストラヴィンスキーの4人だと言っている。生粋のパリ人だった彼の音楽にはユーモアとアイロニーと知性が溢れている。この曲はフルーティスト、ランパルの助言を受けながら195612月から翌年3月にかけて作曲されランパルと作曲者自身のピアノで初演された。



第1楽章 アレグロ マリンコニーコ 憂鬱にという意味だがパリの憂鬱は日本のようにじめじめしていない。



第2楽章 カンティレーナ 抒情的な歌曲



この曲がよく演奏されるのはこの楽章の美しさからだと私は思う。フルートの歌に高雅な哀しみを感じる。



第3楽章 プレスト ジョコーソ 一転して楽しい調子になる。フルーティスト ラルデの公開レッスンを陽子が受けた時「出来るだけ速く」と言われたそうだ。曲の最後にはプーランク自身が「絶対遅くしないで」と書き込んでいる。



 



lハバネラ形式の小品



ラヴェル(18751937



ハバネラというのは元々特徴的なリズムを持つキューバの舞曲でスペインに渡り19世紀ヨーロッパで盛んにもてはやされた。一番有名なのはビゼーのオペラ「カルメン」の中で歌われるハバネラ。ラヴェルもこの曲以外にスペイン狂詩曲でも使っている。



 



lピアノ三重奏曲        ラヴェル



ラヴェルはフランスと言ってもスペインに近いバスク地方のシブールで生まれた。母はバスク人であり、子供の頃はバスクとスペインの歌で寝かしつけてくれたとラヴェルは言っている。バスクの古い民謡は8分の78分の5のリズムから成るものが多く、この三重奏曲にも数多く出て来る。この曲を一気に書き上げたのもバスクのサン・ジャン・ド・リュスの街だった。ラヴェルはピアノ三重奏曲を1曲しか書いていないが、彼はこの曲ではどの楽器も非常に広い音域を駆使している。ピアニストは10本の指しかないのに楽譜は時折3段になり、最低音はピアノの鍵盤の一番低いラの音、最高音は鍵盤の一番上のドのすぐ下のラ。



第1楽章 ピアノの透明な音色の旋律から始まる。8分の38分の28分の3に分かれる8分の8拍子。これもバスク地方の音楽の特徴。



第2楽章 3拍子で書かれているがアクセントと小節の拍がずれている。中間部は弦は4分の3拍子のまま進むがピアノは2分の4でコラール風の旋律を奏でる。



第3楽章 パッサカーユ 深い沈黙の底から湧いてくるような音楽。



第4楽章 3楽章から切れ目なく突入。ヴァイオリンのフラジオの分散和音とチェロのハイポジションの和音に載ってピアノが歌いだす。4分の54分の7拍子が目まぐるしく入れ替わり、最後は情熱的に盛り上がって曲を閉じる。





 



アンサンブルシリーズ27



前にも載せましたが、あれから少し書き直して解説も書きました。



あと2週間後です。是非いらして下さい。



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