1月14日(土)午後2時より佐賀市立東与賀文化ホールにてニューイヤーコンサート”ヴァイオリンの名曲を集めて”と題された石井啓一郎と啓子の演奏会が開催された。
九州には 度々二人で行き、演奏活動20周年の折にはまとめて8か所も回っているのに、佐賀での二人の演奏会は初めてだった。中心になって動いてくれたのは佐賀日本フィルの会事務局長の中野さん。集客力がどうかと心配していたが、インフルエンザや大雪のため急に来れなくなった人が何人もいると言いながら蓋を開けてみると350人ほどのお客様がホールをいっぱいに埋めていた。譜めくりや影アナを担当してくれた人は長崎の人で、長崎は大雪だったそうだ。福岡や久留米、唐津から駆けつけて下さった方もいた。ある人は私たちの演奏を聴いたのは武雄での演奏会以来20年ぶりと大変感激してくれた。
パガニーニのカンタービレとワルツ、ベートーヴェンのクロイツェルソナタが前半、後半は皆が知っているような小品の数々。ピアノの音がきれいだったとの評もあった。子供もいたのにとても静かで、中野さん達も「すごく集中して聴いていましたね!」とびっくりしていた。石井のトークにもよく反応し、笑い声もあって和やかな雰囲気だった。

翌日15日午後6時半からは唐津の光孝寺にてコンサート。ここでも好評で、来年はもう少し大きなところでもう一度という声も。

来年は私たち二人70歳になるので少し頑張って全国各地で演奏会を開こうと思っている。大掛かりな演奏会ではなくて顔の見える会がいいとも思っているので、是非来てくださいという方はお声をお寄せください。

佐賀ニューイヤーコンサート

2017年暮も押し迫っての12月26日(火)東京文化会館にて石井啓子アンサンブルシリーズⅩⅩⅧが開催された。

1987年にこのシリーズを始めて以来ずっと日本フィルのメンバーと共演してきたが25回、四半世紀を終えて、思い切ってそれを解消し、桜庭茂樹氏と石突美奈さんに共演をお願いした。2014年のその会は杉並公会堂であまり宣伝もせずにやってみて、でもうれしいことに続けて出来そうなので翌年からは東京文化会館でナンバーもⅩⅩⅥとして開催した。
ベートーヴェンは音楽家でありながら耳が聞こえなくなり遺書を書いた。しかし音楽への情熱はその苦難を乗り越えて、その後次々と傑作を生みだす。私はどうしてもその事と桜庭氏の事とを重ねて考えてしまう。一時本当に演奏が困難だった時代から抜け出せたのは彼の音楽に対する強い願望だと思う。今は素晴らしいチェリストとして私の良き共演者として演奏してくれている。彼に出会えて私は幸せだった。今回の演奏会でもつくづくそう思った。
プログラムの最初はベームの2本のフルートとピアノのための小品。陽子と石井と私の親子で演奏してほっこりした後、陽子と私でディリアスのソナタ2番。これはヴァイオリンの曲なので息継ぎなど曲の作り方はフルーティストにとって難しかったと思うが、陽子は暗譜で陽子ワールドを繰り広げ、美しかった。そしてベートーヴェンのピアノ三重奏曲作品70-1。石突美奈さんと桜庭氏と私。ベートーヴェンの斬新な曲想が光る。休憩後、ショスタコーヴィチの珍しい映画音楽などを集めたヴァイオリン2本とピアノの小品。石突美奈さんと石井と私。石突美奈さんの麗しい歌い方がお客を引き付けた。最後は名曲中の名曲、メンデルスゾーンのピアノ三重奏曲1番を石井と桜庭氏と私で。この曲は何度か弾いたことがあるが、このたびは新しい発見がいくつもあった。冒頭のチェロの歌い方は桜庭氏ならではの音楽だった。音楽にとても厳しいある人が数日後に寄せてくれた感想では私のアンサンブル感覚に脱帽との事だった。
慌ただしい年末にもかかわらず360人余りの方々が集まってくださってうれしかった。

次のコンサートに向けてまた人生丸ごと精進あるのみ!
演奏会の終わった後、お正月まで東京で過ごし、3日に岩国に帰った。

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演奏終了後、ロビーにて。

墨と彩の響流展 その二 表

11月17日から3日間豊岡市交流センター稽古堂にて開かれていた墨と彩の響流展(すみとあやのこうるてん)その2in豊岡が無事終了した。
宇部で2016年3月に開催した響流展が大変好評だったので第2弾として豊岡での開催を母に打診したのが2016年秋。乗り気になった母はそれから豊岡にちなんだ俳句や歌を探していくつもの新作に取り組んだ。会場選びは私に任され、私は地元の方の意見を聞いたりネットで情報を集めたりして結局稽古堂に決定。稽古堂というのは但馬地方の藩校の名前で、1925年豊岡が大震災にあった直後に建てられた市役所の建物を何年か前リニューアルした際に名付けられた。
15日に母とスタッフ2名と私は豊岡入りし、16日午前中から会場準備に取り掛かった。地元の実行委員の方々が重い椅子や机などを運び出してくれて大変助かった。午後からは展示の専門家や宏二郎も来て本格的な展示が始まる。うまくすべての作品が収まって、花も活けられ、翌日の開場を迎えられるようにするのに6時過ぎまでかかった。書だけの展覧会と違い、色彩が入るので会場全体が暖かい柔らかな感じになった。宏二郎は母の書の影響を受けて今のような画風になったわけではないが、ろうそくや影など静かな中に何かを秘めている絵は書と並べると相乗効果を生むような気がする。また、このたびのコラボ作品は5点、母の書いた蕪村の新年と四季の句に宏二郎が水彩色鉛筆で絵を添えている。年齢差50、キャリアの違いの大きさを感じさせない作品群となった。
この辺りのお天気は晴れていても急に雨が降り出したりするのが常だそうで、「弁当を忘れても傘を忘れるな」と言われるほどだ。3日目は雪が降るかもしれないとの予報。結局降らなかったけれど寒かった。そんな中、来て下さった方々は大変感激し、「絵を見てこんなに心が揺さぶられたのは初めてです。」と涙を浮かべる人もいた。母の選んだ句の中に京極き陽というこの地方のお殿様の句が3句あったが、その京極さんの下でお母様が俳句を勉強していらしたという方が、母の書いた句と同じ句を京極さんご自身が書かれた掛け軸などを持ってきてくださって拝見した。最近の俳人の書はあまり上手でないらしいが、京極さんの字は俳人らしい穏やかな字で、母も大変良いと言っていた。一度見にいらした方がもう一度、今度はお友達をたくさん連れていらしたり、累計で300人余りのご来場となった。
最終日、19日6時半からの撤去作業も地元の方々の力が大変大きかった。
20日午前11時前の電車で母を連れて東京に戻った。

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まん中の軸は京極さんの句
野菊にも雨ふりがちの但馬住

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青い絵のこちら側の5点が母と宏二郎のコラボ作品群

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右の書が京極さんの句
おもむろに晴れあがりたる雪山河
真ん中のと左のは豊岡にある植村直己冒険館を母が訪れたときの句
昏れそめていてふ降りつぐ直己館
落葉敷く直己の館クレパスに








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