5月30日の夜、宏樹庵の池のカエル達が特ににぎやかに鳴いていた。
カエルの声の中でもひときわ高い声で鳴くカエルがいて、カジカガエルではないだろうかと話していた。
翌朝、池の上に張り出した木の枝に綿あめのようなものがくっついているのを発見!!!
調べてみると、モリアオガエルという種類のカエルの卵だということが分かった。
ふだんは林や森の中で生活しているのだが、産卵のために水辺に来て、水の中でメスはたくさんの水分を蓄え、それからオスの待っている木に登って行ってオスに抱きつかれながら泡とともに卵を枝に産み付ける。その卵の数は200~800というからすさまじい生命力だ。
池には多数のイモリが棲んでいるので、生まれ落ちたオタマジャクシが食べられないように籠を置いた。初めは真っ白だった卵は次第に黄色っぽくなってだらんとしてきた。
6月13日の朝、たくさんの小さなオタマジャクシが籠の中にいた。落ちてくるところを見たかったので残念だったが、オタマジャクシは元気だった。少しずつ大きくなっていった。
ところが6月30日の夜、雷もドンピシャ鳴る大雨が降った。朝起きてみると案の定、籠は沈んでしまい、オタマジャクシも外に流れ出てしまっていた。イモリに狙われる。しかし、オタマジャクシの赤ちゃんは狙われてもスルッとかわし、だんだん大きくなったオタマジャクシは反対にイモリにくっついて泳ぐようになった。イモリの方がそんなオタマジャクシをうるさがって逃げるほどだった。
7月29日足が生え始めたオタマジャクシも見かけるようになった。頭も大きくなった。
深く沈んでいたオタマジャクシが垂直に水面に上がって来て水の上に口だけちょこっと出し、またすぐに真下に沈んでいく動作をするようになった。オタマジャクシの成長過程で肺が出来てくるのだろうか。ふだんは底の方でじっとしている。
手はなかなか生えてこない。しっぽもなかなか短くならない。小さい時、与えていた金魚の餌もイモリばかりが群がって食べ、オタマジャクシはほとんど食べなくなった。

孫たちが8月9日に大勢やってきて3・4日観察を怠っていた。
そうしたら8月14日立派なモリアオガエルになった一匹が池の葉の上にちょこんと座っていた!!! 体長は3センチ弱。卵から孵ってからちょうど2か月。孵ったオタマジャクシの数からするととても少ないが、ちゃんと成長してくれて嬉しかった。
これから森の中に帰るのかな。またいつか卵を産みにおいで!


IMG_1434
5月31日朝 木の枝に産み付けられた卵
IMG_1450
6月4日卵の下に籠を置く
IMG_1454
6月8日 卵の色が少しずつ黄色っぽくなってきた
IMG_1462
6月9日 卵がだらんとしてきた
IMG_1471
6月13日オタマジャクシが生まれた

IMG_1483
6月24日 少しずつ大きくなる
IMG_1477
6月25日
IMG_1497
7月1日大雨のあと
IMG_1505
7月6日 他のカエルのオタマジャクシと混ざってしまってどれがモリアオガエルの子なのか?
IMG_1507
IMG_1543
食欲旺盛、群がって何かを食べている。お腹を見せるほど勢いよく。
IMG_1547
7月15日 イモリにくっついて泳ぐ
IMG_1557
イモリと共棲
IMG_1594
7月29日足が生えてきた
IMG_1622
8月14日 いつの間にか立派なカエルに!!! 






2010年7月東京都新宿区の最勝寺にて父の葬儀がたくさんの人々が見守るなか執り行われた。岩国から駆けつけてくれた親戚の人達もいた。厳かに葬儀が終わった後、外に出てみると思わず「わぁーっ!!!」と声があがる程、空が夕焼けで真っ赤だった。東京都心でもこんな夕空があるんだとびっくりした。
後に母が詠んだ句
「夕焼けて 夫(つま)の残せし 情(こころ)燃ゆ」
父は手の届かぬ西方浄土へ旅立ってしまったが、そこから私たちに向かって「強く生きよ!」とのメッセージを送ってくれたかのようだった。
それから13年、母は当初は妹と二人で生活していたが、その妹も2013年に急に亡くなり、今は中井の家に一人で住んでいる。昨年8月、倒れ、救急車で病院に運ばれて入院したが間もなく退院、今はとても元気になった。今年6月のリサイタルの折には約10年ぶりに会場へ足を運ぶこともできた。
7月24日(月)午後5時より中井でホームコンサートを開いた。
陽子の末娘ほのか:高木東六「木馬は走る」、母:モーツァルト「幻想曲」、晴香と絢香と陽子で久石譲「人生のメリーゴーランド」、史子と私でベートーヴェン「ロマンスト長調」、石井と私で「ウィーン奇想曲」、そして最後に陽子と私で野田暉行編曲「夕焼け小焼け」を演奏した。
晴香に、今回のコンサートは夕焼けのイメージでやりたいからプログラムの絵も夕焼けを描いてと頼んだら、本当に真っ赤な夕焼けの絵を描いてくれた。何故か走る馬がいて、ゆったりと空を舞うカラスとの対比も良かった。
モーツァルトの幻想曲。母はどうしても元気よく弾いてしまうところを、私の厳しいレッスンもあり、何とか本番は情緒豊かに弾けた。今年11月で満96歳になるが、弾きたいという意欲があるのは大したものだと思う。ホームコンサートも今回4回目で初めての時より母はずいぶん難しい曲が弾けるようになった。
そして、コンサートの翌朝、母はもう新しい曲の譜読みをしていた!!!


466288068501438519

466288069088116867




466288069038309660

IMG_1574


466288069491032117

466288069860392962

IMG_1579

IMG_1581
絢香が書いてくれたプログラム。これも夏らしくて良かった。

IMG_1580
晴香の夕焼けの絵







6月1日京都コンサートホール、10日ヒストリア宇部、14日東京文化会館と続いた石井啓一郎ヴァイオリンリサイタルが終わった。
ドイツから帰国して翌年から始めたヴァイオリンリサイタル、今回は45回目。大曲シューベルトの幻想曲の前奏として初めてピアノソロのシューベルト即興曲op.142-2を入れた。休憩後のプログラムはピアノソロで始まると思っていた人達は、石井や譜めくりの人と共に3人で私が舞台に出てきたのを見てアレっと思ったらしい。弾き始めたのは即興曲だったが、美しく弾き終えても拍手する間も与えず次の幻想曲に突入。思いがけない導入だったが納得のいく運びだった。幻想曲は30分もかかる大曲だが、初めから最後までピアノは弾きっぱなしで、ある人は「先生の指は20本あるんですか?」と言っていた。前半のモーツァルトのソナタはモーツァルトの短調の曲があそこまで美しいとはと感想を述べてくれた人もいた。クライスラーの4曲もおしゃれな曲で聴きやすかったと思う。
しかし3か所どこでも集客には苦労。京都ももう大変なので今年限りにしようかと思ったのだが、スタッフ達は来年も是非と言う。宇部は会場が狭いのだが少し手を打てばもう少し入るかもしれない。東京は150あまり。こんな所か。
今回は私の母が久しぶりに聴きに来てくれた。この10年ほど腰が痛くてホールの椅子には座っていられないなどなどの理由で足を運べなかった。今年に入ってずいぶん元気になってきて、自分より一つ年上の叔母が来てくれるとの事を聞いて、では自分も行ってみようかという気になった。家からの往復は陽子達に頼んだ。母は96歳。最長老の叔母は97歳、その妹は94歳と87歳。会場で久しぶりに父の姉妹が勢揃いした。97歳の叔母は耳が遠くなっているのにヴァイオリンとピアノの音は聞こえたらしい。感激して涙を流さんばかりだった。彼女達の人生の中で少しは心躍る時間を共有できたかもしれないと思うと嬉しかった。 

AAB6A3A5-12C7-4DF4-8F93-4083F8758DE1
左から父の一番下の妹、一番上の妹、母、二番目の妹、少し顔が隠れてしまったけれど私の従妹、妹。
E124BC20-6859-4ED1-A5FA-19D0865EF9D5
立派な京都コンサートホール入口

↑このページのトップヘ